絵で読む日蓮聖人のご生涯 |
このページは日蓮宗全国布教師会連合会が平成12年5月31日発行しました〔日蓮聖人のご生涯〕〜絵と文と御遺文でつづる〜を編著者・三木随法師の承諾のもと、WEB用に再編したものです。
20枚の聖人伝記絵(京都・教法院蔵)には、作者・妹尾天然画伯の聖人への恋慕渇仰の篤き信仰心が滲み出ております。
日蓮聖人は、一切の人々と世界を浄め救わんという、久遠本仏お釈迦さまの誓願に生きられた、法華経の行者ご自覚の生涯でした。このご生涯こそ、現代の私たちの拠りどころ、救いの灯であり、勇気の源です。
・日蓮宗全国布教師会連合会 会長 久住 謙是
妹尾天然(せおてんねん)画伯・略歴
明治21年 岡山に生まれる。
日本画を学ぶなかで信仰に目覚め、高山樗牛の著書に出会い、日蓮聖人遺文を読む。さらに摩訶止観、一切経を読破、日蓮教学を学び、画道・仏道に励む。
晩年は篤き法華信仰のもと身延山に住み、久遠寺大客殿の「日蓮聖人御影」など数々の大作を残す。
昭和52年没。九十歳。妹尾天然 画
伝藤原親安筆「波木井の御影」 拝写
目 次
誕生 | 千葉小湊にご誕生 | 一歳 | 貞応元年二月十六日 | |||
出家得度 | 清澄寺でお坊さんになる | 十六歳 | 延応元年 | |||
比叡山遊学 | 比叡山横川定光院で修行 | 二十一歳 | 仁治三年 | |||
立教開宗 | 清澄山旭が森での決意 | 三十二歳 | 建長五年四月二十八日 | |||
初転法輪 | 清澄寺で初めてのお説教 | 三十二歳 | 建長五年四月二十八日 | |||
鎌倉辻説法 | 鎌倉でのご布教 | 三十二歳 | 建長五年 | |||
松葉が谷法難 | 鎌倉松葉が谷のご法難 | 三十九歳 | 文応元年八月二十七日 | |||
伊豆流罪 | 伊豆へ島流しとなる | 四十歳 | 弘長元年五月十二日 | |||
伊豆法難 | 伊豆の伊東へ到着 | 四十歳 | 弘長元年五月十二日 | |||
小松原法難 | 千葉小松原のご法難 | 四十三歳 | 文永元年十一月十一日 | |||
祈雨 | 鎌倉で雨乞い競う | 五十歳 | 文永八年六月 | |||
召し取り | 鎌倉で再び逮捕される | 五十歳 | 文永八年九月十二日 | |||
龍口法難 | 片瀬龍の口で斬首刑 | 五十歳 | 文永八年九月十二日 | |||
佐渡塚原三昧堂 | 佐渡ケ島で流罪生活 | 五十歳 | 文永八年十月二十八日 | |||
大曼荼羅始顕 | 佐渡でお曼荼羅を書く | 五十一歳 | 文永九年七月八日 | |||
佐渡赦免状到着 | 佐渡に赦免状が届く | 五十三歳 | 文永十一年三月八日 | |||
鎌倉幕府との対面 | 鎌倉幕府へ最後の警告 | 五十四歳 | 文永十一年四月八日 | |||
身延奥の院 | 山梨県の身延山に住む | 五十四歳 | 文永十一年五月十七日 | |||
身延離山 | 故郷をめざして出発 | 六十一歳 | 弘安五年九月八日 | |||
御入滅 | 東京池上でご入滅 | 六十一歳 | 弘安五年十月十三日 |
各ページに移って「御遺文を読む」の中欄の数字は<昭和定本日蓮聖人遺文>身延山久遠寺 発行の頁です。