鎌倉幕府との対面 |
お釈迦さまの誕生の聖日、四月八日、幕府は聖人に面会を求めてきました。
対面したのは、執権北条時宗(ほうじょうときむね)の命令を受けた、平左衛門頼綱(侍所次官)<へいのさえもんよりつな>あの龍の口で首を斬ろうとした役人ですが、うって変わった丁重な態度で質問をしてきました。
「蒙古来襲はいつでしょうか?」「年内には攻めてくるでしょう」「対策はどうすればいいのでしょうか?」「正しい法に従いなさい」という具合でしたが、信仰よりも習慣化・伝統化している宗派との繋がりの方が大切だと幕府は思っていたのです。
聖人は、三度の諌めも聞かない幕府をみかぎり、日本中を歩いて法華経を広めようと考えられ、ついに身延山へ向かって旅立たれたのです。
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