身延奥の院 |
身延に着いた聖人を迎えた波木井実長(はきいさねなが)さんは、「生涯をこの地で過ごしてください」と草庵を建築しました。
法難に次ぐ法難の日々で、弟子の教育ができなかった時間を、ここで思う存分果たすことができたのです。
身延に入られて一年目の冬のある日、日朗上人が七歳の満寿丸を千葉県松戸の平賀から連れてきました。
五十四歳の聖人は、孫ができたように喜ばれ「経一丸」(きょういちまろ)の名を贈って、一字一字お経を教え、手紙やご本尊を書くときも、いつもそばに座らせ、家族の団らんがなかった聖人にとっては、ほんとうに心なごむひとときでした。
しかしそれは、両親への不孝を思い出させるものでもあり、毎日毎日、身延山頂に登って、はるかに両親の墓を拝み、いかに山奥であろうと、「人が貴(とうと)いからこそ所が貴いのだ」という誇りが身延山の生活でもありました。
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