松葉が谷法難


鎌倉松葉が谷のご法難

 「立正安国論」は、宿屋光則(やどやみつのり)という人を通して、幕府の最高責任者である前の執権の北条時頼に提出されました。
 幕府から何の返事もないまま、一ヶ月が過ぎたある日の夕刻、猿に衣を引っ張られるままに裏山へ登って振り返ると、多くの暴漢が押し寄せ、草庵が燃えあがっていました。
 いったんは千葉県中山の富木常忍(ときじょうにん)さんの家に身を潜めた日蓮聖人でしたが、再び松葉が谷に草庵を建てて、日昭・日朗・日興(こう)などの弟子とともに布教を再開しました。
 草庵を襲った人々は、日蓮聖人はすでに焼け死んだと思って安心していました。しかし、再び鎌倉の辻に立つその姿を見て、またまた大騒ぎになり、各宗の坊さんや信者さんが集まって、「何とか日蓮を懲らしめ、法華経を広めることを止めさせる方法はないものか」と、幕府の役人まで引き込んで、日蓮追放の秘策を話し合いました。

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鎌倉辻説法 絵で読む日蓮聖人のご生涯 伊豆流罪
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