立教開宗 |
あしかけ十二年、京都での勉強は世界の文学・歴史・思想に及び、ついに、世界の人々が平和に暮らすには法華経の教えに従うほかはないと確信されたのです。
しかし、法華経には、「正しいことを伝えると、必ず妬み(ねた)や怨み(うら)みをもつ人が現れ、お釈迦さま亡きあと、法華経を伝える者は大変な難にあう」と説かれています。
言うべきか言わざるべきか、何度も悩んだ結果「法華経を伝えることがお釈迦さまの命令だ」と自覚され、千葉の小湊に帰られました。
なつかしいご両親とゆっくり過ごす間もなく、四月二十八日早朝、清澄山に登り、太平洋から昇る旭に向かい、南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経と、「お題目」を始めて唱えられ、お師匠さまの道善房や兄弟弟子に、京都での報告と法華経の尊さを語られました。
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