佐渡塚原三昧堂


佐渡ケ島で流罪生活

 首が斬れない以上は、予定通り島流しにするしかないと、ひとまず佐渡守護代・本間重連(ほんましげつら)の館(やかた)のある、厚木(依智)<えち>へ護送されました。
 そしてここでも、天から大きな光り物が降りてきて、庭の梅の木に掛かるという、不思議な現象が起きました。
 しかし、佐渡流罪という幕府の考えは変わらず、龍の口からひと月後、厚木を発って新潟県寺泊(てらどまり)を経て、佐渡へ着かれたのは十八日目のことでした。
 佐渡での住まいは、本間重連の佐渡館の裏山、塚原という墓場の中の三昧堂で、寒風吹きすさぶあばら屋でした。
 冬のある日、お坊さんや念仏の信者たちが、聖人に問答を迫りましたが、ことごとく論破され、中でも八十歳を越えた阿仏房(あぶつぼう)は、特に熱心な信者となり、妻の千日尼(せんにちあま)とともに毎日食事を運びました。

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龍口法難 絵で読む日蓮聖人のご生涯 大曼荼羅始顕
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