身延離山


故郷をめざして出発

 身延山は、お釈迦さまが法華経をお説きになった霊鷲山(りょうじゅせん)よりもすばらしく、吹く風や草木もお題目を唱えている、と感激された身延での生活は、早くもあしかけ九年をむかえていました。
 その間、蒙古来襲による博多の惨状を聞いては心を痛め、師匠道善房の訃報に接して涙ながらに「報恩抄」二巻を書いて、弟子日向(にこう)上人に千葉まで持たせたこと、七面天女が龍となって法門を聞きに来たこと、善智法印が毒まんじゅうを持って聖人を殺そうとしたこと、などなど、夢のように過ぎていったのです。
 そして、いつのまにか聖人の身体を病魔がむしばみ、身延を離れたくない、と思ってはおられましたが、ついに、弟子や信者さんの勧めに従って、常陸(ひたち)の温泉での療養を決意して、甲州路を進まれるのでした。

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身延奥の院 絵で読む日蓮聖人のご生涯 御入滅
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