大曼荼羅始顕 |
塚原での生活は六ヶ月におよび、「我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本の大船とならんと誓いし願破るべからず」と示された、日蓮聖人の遺言の書である「開目抄」を極寒の二月、この地で書かれました。
そして、新緑薫る四月、聖人の身柄は一の谷入道(いちのさわにゅうどう)の家へ移され、ここで日蓮聖人の生涯において最も重要なご文章である「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」を書いて、千葉の富木常忍さんの元へ送られました。
この「本尊抄」には、法華経に説かれている表面的な内容だけでなく、文章の奥に秘められている宇宙の真実の姿、生命の真実の姿が説かれているのです。
さらに三ケ月後には、「本尊抄」に説いた法門を図様化した「十界互具の大曼荼羅」を顕わされ、これこそ誰もが本来最も尊ぶべき「本尊」なのです。
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