祈 雨 |
文永五年正月、鎌倉幕府に蒙古から手紙が届きました。
蒙古はすでに中国全土を制圧し、ヨーロッパにまで手を伸ばす勢いをもって日本に迫ってきたのです。
「立正安国論」で、正しい法に従わなければ「他国から侵略される」と忠告された危機が迫ったのです。
聖人は幕府や寺々に十一通の手紙を出して「日本のために仏教の真実の教えをはっきりさせよう」と呼びかけましたが、返事はありませんでした。
さらに三年後、大干ばつが続き、幕府は生き仏と呼ばれた律宗の極楽寺良観(両火房)に雨乞いを命じました。
聖人は「七日で雨が降れば日蓮の負け、降らなかったら良観の負けとしよう」という手紙を出し、雨を待ちましたが、七日を過ぎても一滴の雨も降らず、良観は涙を流して悔しがりました。
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