御遺文

〔立教開宗〕

波木井殿御書 1925 十五年が間、一代聖教、総じて内典・外典に互りて残り無く見定め、生年三十二歳にして、建長五年癸丑三月二十八日、念仏は無間の業なり、と見出だしけるこそ、時の不祥なれ。
開目抄 535 それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり、また習学すべき物三つあり、いわゆる儒・外・内これなり。
539 ただ法華経ばかり教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり。大覚世尊は四十余年の年限を指して、その内の恒河の諸経を「未顕真実」、八年の法華は「要当説真実」と定め給しかば、多宝仏大地より出現して「皆是真実」と証明す。分身の諸仏来集して、長舌を梵天に付く。この言赫々たり、明々たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰いで信ぜよ伏して懐うべし。
556 日本国にこれをしれる者、ただ日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば、父母・兄弟・師匠に、国主の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたり、
601 種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり、その外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。
三沢鈔 1445 此を申しいだすならば、仏の指させ給いて候未来の法華経の行者なり。知りてしかも申さずば世々生々の間、おうし、ことどもり生れん上、教主釈尊の大怨敵、その国の国主の大讎敵他人にあらず、後生はまた無間大城の人これなり、とかんがえみて、あるいは衣食にせめられ、あるいは父母・兄弟・師匠・同行にもいさめられ、あるいは国主萬民におどされしに、すこしもひるむ心あるならば一度に申し出ださじと、としごろ、ひごろ心いましめ候いしが、



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