御遺文

〔大曼荼羅始顕〕

一谷入道御書 994 文永九年の夏のころ、佐渡の国、石田の郷、一谷といいし処に有りしに、預かりたる名主等は公といい私といい、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに、宿の入道といいめといい、つかうものといい、始めはおじおそれしかども、先世の事にやありけん、内々不便と思う心付きぬ。預りよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに僅かの飯の二口三口ありしを、あるいは折敷に分け、あるいは手に入れて食いしに、宅主内々心あって外にはおそるる様なれども、内には不便げにありし事、いつの世にか忘れん。我を生みておわせし父母よりも当時は大事とこそ思いしか。何なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。然れども入道の心は、後世を深く思いてある者なれば久しく念仏を申しつもりぬ。その上、阿弥陀堂を造り田畠もその仏の物なり。地頭もまたおそろしなんど思いて、直ちに法華経にはならず。これは彼の身には第一の道理ぞかし。然れどもまた無間大城は疑いなし。たといこれより法華経を遣わしたりとも世間もおそろしければ、念仏すつべからず、なんど思わはば、火に水を合わせたるが如し。謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさんこと、疑いなかるべし。
観心本尊抄副状 721 観心の法門、少々之を注し、太田殿・教信御房等に奉る。このこと、日蓮当身の大事なり。これを秘して、無二の志ざしを見ば、これを開じゃくせらるべきか。この書は難多くして答え少なし。未聞の事なれば、人の耳目、これを驚動すべきか。たとえ他見に及ぶとも、三人四人、座を並べてこれを読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だこの書の心有らず。国難を顧みず、五五百歳を期して、これを演説す。乞い願わくば、一見を歴て来たるの輩、師弟共に霊山浄土に詣でて、三仏の顔貌を拝見したてまつらん。恐恐謹言。



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