御遺文

〔佐渡塚原三昧堂〕

種種御振舞御書 970 天より明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかかりてありしかば、ものゝふども皆椽より飛びおり、あるいは大庭にひれ伏し、あるいは家のうしろへ逃げぬ。(中略)同く十月十日に依智を立って、同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ。十一月一日に、六郎左衛門が家の後ろみの家より、塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のように、死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし。上は板間あわず四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆることなし。かゝる所に所持し奉る釈迦仏を立まいらせ、しきがわ打ちしき、蓑うちきて夜をあかし日をくらす。夜は雪・雹・雷電ひまなし。昼は日の光もささせ給わず、心細かるべき住まいなり。
寺泊御書 512 今月十月なり、十日相州愛京郡依智の郷を起って武蔵国、久目河の宿に付き、十二日を経て越後の国、寺泊の津に付きぬ。これより大海を亘りて佐渡の国に至らんと欲す。順風定まらず、其の期を知らず。
開目抄 590 日蓮といいし者は、去年九月十二日、子丑の時に頸はねられぬ。これは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月、雪中にしるして、有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず。みん人いかにおぢずらん。これは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来、日本国当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし。
千日尼御前御返事 1545 地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、日蓮が庵室に昼夜に立ちそいて、通う人あるを惑わさんとせめしに、阿仏房にひつをしおわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらん。只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか。



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