御遺文

〔祈 雨〕

種種御振舞御書 964 六月十八日より七月四日まで、良観が雨のいのりして日蓮にかかれて、ふらしかね、汗をながし涙のみ下して雨ふらざりし上、逆風ひまなくてありし事。三度まで使いをつかわして、一丈の堀を超えぬもの十丈二十丈の堀をこうべきか。(中略)いかに二百五十戒の人々、百千人あつまりて七日二七日せめさせ給うに雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ。これをもって存ぜさせ給え。各々の往生は叶うまじきぞと、せめられて良観がなきし事人々につきて讒せし事、一一に申せしかば、平の左衛門尉等かたうど、しかなえずしてつまりふしし事どもは、しげければ書かず。
下山御消息 1322 此に両火房祈雨あり。去る文永八年六月十八日より二十四日なり。此に使いを極楽寺へ遣わす。年来の御歎きこれなり。七日が間に、もし一雨も下ば御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなりけりと申すべし。余だにも帰伏し奉らば我が弟子等をはじめて、日本国大体かたぶき候なんと云云。
頼基陳状 1353 文永八年太歳辛未、六月十八日大旱魃の時、彼の御房祈雨の法を行いて、万民をたすけんと申し付け候由、日蓮聖人聞き給いて、この体は小事なれども、この次いでに日蓮が法験を万人に知らせばや、と仰せありて、良観房の所へ仰せつかわすに云く、七日の内にふらし給わば、日蓮が念仏無間と申す法門すてて、良観上人の弟子と成りて、二百五十戒持つべし。(中略)良観房悦びないて七日の内に雨ふらすべき由にて、弟子百二十余人、頭より煙を出だし、声を天にひびかし、あるいは念仏、あるいは請雨経、あるいは法華経、あるいは八斎戒を説きて種種に祈請す。四五日まで雨の気無ければ、たましいを失いて、多宝寺の弟子等、数百人呼び集めて、力を尽くして祈りたるに、七日の内に露ばかりも雨降らず。



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