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私たちの日蓮宗 |
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南無妙法蓮華経と信じ、唱えることです。
釈尊のお使いとして日蓮聖人がお導きくださったとおりにして法華経を鏡として、心からお題目を唱え、毎日の生活を送ることです。
法華経は末法に生き、苦しみ悩む私たちのために説かれたものであることに目覚めることです。お題目を唱えることは仏となる種が芽生え、これを生長させていくことです。
地位や名誉や財産という欲望にかりたてられるだけの一生でよいのか。人間の不平等に悩み、病気や苦痛、家庭や社会の中での人間関係における悩み。死への不安と悲しみ。そうした生死の苦しみを解決し、救いを与えてくれるのは何か、を私たちは求めています。
そこに、法華経と日蓮聖人の教えによる救いがあります。
妙とは、蘇生(よみがえること)であると聖人は示されました。よみがえるとは、み仏に従って毎日を強く生きることです
私たちは現代という時代に生きています。公害・交通禍・戦争をはじめ、いのちや毎日のくらしがおびやかされている時代にこそ、幸福と平和の法華経の教えが明らかにされなければなりません。
法華経には「常に悲しみをいだいて心ついに醒悟(めざめさとる)す」と示されています。
苦しみや悲しみから目をそむけるのではなく、悲しみの現実を真っ直ぐ見詰めながら困難にへこたれず、死を恐れない
心の深み、仏の救いを受ける素直な心をもって、この時代を生き抜くことを教えられました。
法華経は日本をはじめ、全世界にひろまる教えであることを知るべきです。
私たちは、日本という国を通して、世界の人々がぜんぶ平和な世界に住み、幸福になるよう祈り、その実現に努めなければなりません。
泥沼に咲く、蓮華の花のように、濁れる世の中の暗闇を除くのが法華経的人間のあるべき姿なのです。