前へ

私たちの日蓮宗

次へ

ご本尊と成仏への祈り

  ご本尊

 私たちの信仰は、ご本尊に向かい、お題目を唱え、安らぎの世界を得ることにあります。
 ご本尊とは、私たちが帰命することによって、智慧と慈悲の光をもって帰命し、信心する私たちを包みこんでくださる本仏のことです。
 本仏である釈尊が、救おうと私たちに呼びかけられている、そのことにこたえて、私たちが心に救われたいと願い、人をも救おうと誓うところに、法華経寿量品に示される本尊の姿があります。それゆえ、釈尊を本尊と仰ぐのです。

  大曼荼羅

 大曼荼羅は、この本仏釈尊のさとりの世界、仏さまの心を顕したもので、釈尊の魂そのものが図に示されているわけです。
 その信仰に励む具体的な姿。それがお題目修行です。釈尊の呼びかけと、導きに応えて私たちが誓願し、帰命することによって、釈尊の因行果徳(原因たる修行とその結果得られた徳)の功徳をいただくのです。

  お題目

 日蓮宗の根本はお題目です。ご本尊にむかって、お題目を唱える安らぎの世界こそ、信仰のあらわれを示すもので、このとき、仏さまの世界にわが身が包まれ、仏と一体になるのです。
 また、自らの信行を高めるため、法華経の読・誦・解説・書写もあわせ行うべきです。

  菩薩行

 この毎日の信仰生活の中から、仏の教えに反する悪や、なまけ心や、不正をなくし、正義と幸せを願い、多くの人にもこの精神をひろめ、ともに、このために努力する生き方が生まれてきます。これを菩薩行といいます。

  成仏

 成仏とは死ぬことではありません。お題目を唱え、強く正しく清らかに生きていくことです。法華経を信行する毎日の真剣な生活そのものが成仏の姿です。
 言いかえますと、成仏とは、特別の姿や状態になることではなく、本門本尊への至心・信楽・唱題の姿、そのもののことです。

 いつも仏によって救われ、仏の浄土に生かされていると信ずるところに、永遠の安心が得られます。
 仏にむかって、自分を空しくして、邪念・欲望を振り払い、素直に信じきる生活は、祈りの生活です。
 それは、厳しい自己反省と人間らしい生き方を求めていく慈しみと、智慧の心に根ざすものです。

  信仰

 信仰は、他人に強制したり、圧力を加えて信じさせるものではありません。宗祖は「摂受折伏時によるべし」と示されています。折伏とは、慈しみの心から相手の信仰心を目覚めさせ、自ら発心して信仰させるよう厳しく教えを伝える方法であり、摂受とは、相手の立場に応じて柔軟に説得することです。自らの過去に犯した罪を思い、罪を無くすために命がけで正法をひろめられた宗祖の生き方から、法華経をひろめていく二つの方法がなされたことを私たちはしっかり見なければなりません。

  いのり

 いのりとは、大慈悲心に基づく真実の表白です。私たちの日蓮宗の祈祷には、自行化他に亘って成仏の祈りと生活の祈りがありますが、あくまでも信仰生活の助道となるものでなければなりません。普通言うところの祈祷は、生活の上での希望をかなえんがための祈りを指しています。しかし、その祈りによってかなえられる顕益(目に見える利益)冥益(目に見えない利益)は、いずれも自他の信心を増進させるものであり、一切の人々の成仏(幸福)を達成させるためのものであることを私たちは心に留めおくべきです。