前へ ← |
私たちの日蓮宗 |
次へ → |
教主釈尊の正言である法華経の中で、最も大切なのが二乗作仏(すべての人は仏になれる)と久遠実成(仏は三世常住でいつも人々を仏にしようとされている)です。
法華経は一代聖経の骨髄、自我偈は二十八品の魂とも教示されています。
寿量品は、み仏が遠い昔から、はるか未来の彼方に至るまでいつも、どこにおいても私たちの住む世界に私たちと一緒におられ、汚れた世に苦しむ人々を仏にしようと導かれ、救おうとされている、と説き明かされている。
人々がすでに信じ、心が素直になり、一心に私に会いたくて、身命も惜しまなくなった時、私は弟子たちとともに霊鷲山にあらわれる。いつもここにいて、滅することはないのだ。方便の力によって見えたり見えなかったりするが、どこでも信じ願う者があれば、私は姿を示して語りかけるであろう、と示されています。
釈尊がこのように心をいためられ、救おうと語りかける相手は、ほかならぬあなたであり、私です。
日蓮聖人は、自分に説かれたもの、という自覚に立たれて、法華経を受け止められたのです。
この寿量品は特に「お自我偈」を頂点として、釈尊は「すべての人はだれも仏になれる。一人として救われぬものはない」と宣言され、み仏の道に入れさせようと導かれ、法華経の一つ一つの言葉を聞いて随喜し、受持する者の功徳を説かれています。
法華経をたもち、ひろめる者には、多くの困難や迫害があるけれども、これを耐え忍び、すべての人は仏になれることを自分も信じ、他の人にも説いていくことこそ、法華経を行ずる者のつとめであると示されています。
宗祖は釈尊のご精神が法華経にあり、釈尊のご自身の魂は末法の代(仏の世から遠ざかり、悪と苦しみの満ちている汚れた世)に南無妙法蓮華経のお題目にまとめてこの世に留めおかれ、上行菩薩にひろめることを託された、と確信をもって受け止められました。
日蓮聖人は、この上行菩薩としての自覚に立って法華経をひろめられました。
上行菩薩は地から湧き出た沢山の菩薩のリーダーであり、それは、私たち庶民の中から現れた指導者です一人よがりや、エゴイズムを乗り越え、人々に法華経をたもたせ、救おうとされる上行菩薩の誓いを、自らの誓いとされたのが日蓮聖人でした。
私たちは仏の使いであり、この上行菩薩の自覚に立たれた「法華経の行者」である日蓮聖人を宗祖と仰ぐのです。