日蓮聖人のお言葉一日一訓
31日 心の連帯
い たい どう しん じ
異 体 同 心 事 にいわく
 いたいどうしん       ばんじ  じょう   どうたいいしん       しょじ かの  こと           こと   げでんさんぜんよかん  さだ   そうろう  いん ちゅうおう
 異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は、外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王
  ななじゅうまんき        どうたいいしん                         しゅう ぶおう    はっぴゃくにん        いたいどうしん            いちにん
は七十万騎なれども、同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども、異体同心なればかちぬ。一人
            ふたつ               そ              じょう   こと    ひゃくにんせんにん
の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども、一つ心なれば必ず事を成ず。

  体はたとえちがっても心が同じであれば、なにごとも成しとげられないものはない。体は同じでも心がばらばらにちがっていれば、いろいろなことをやっても実現させることはできない。このことは、儒教の三千余巻にのぼる教えにもはっきりとしるされているところである。
 たとえば、昔、中国の殷という国をあさめていた紂王は、七十万騎という大軍をひきいていたが、王があまりに悪逆のかぎりをつくしていたので、同じ軍ではありながら心はばらばらであったため戦争に敗けてしまった。これに対して、周の武王は善と礼節を重んじていたので、わずか八百人しかいなかったけれども、たとえ身はことなろうとも心は同じであるという気概にあふれ、殷の紂王にうち勝ったのであった。
 また、ひとりの心の場合もそうである。ひとりの人間の心に、二つのちがった心があれば、その二つの心がたがいにちがうことをことを考えてぶつかりあうので、ものごとを成しとげることはできない。たとえ、百人、千人しかいなくても、一つの心でものごとを行えば、必ず事を成就することができるのである。


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