日蓮聖人のお言葉一日一訓
16日 追善供養
ぎょうぶ さ  え もんのじょうにょうぼう ご へん じ
刑 部 左 衛 門 尉 女 房 御 返 事 にいわく
 こんじょう ふぼ  こうよう     よう        ごしょう         と  ひと           い
 今生には父母に孝養をいたす様なれども、後生のゆくえまで問う人はなし。母の生きておわせしには、心には思わ
  ひとつき  いちど           と           し  たま     のち  しょなのか にしちにち ないしだいさんねん ひとめ
ねども一月に一度、一年に一度は問いしかども、死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事
     かた ごと と おとな そうら   じゅうさんねんしせんよにち  ほど       と  ひと                 とき  いちにち
なれば形の如く問い訪い候えども、十三年四千余日が間の程はかきたえ問う人はなし。生きておわせし時は一日
かたとき     せんまんにち                                                       いか
片時のわかれをば千万日とこそ思われしかども、十三年四千余日の程はつやつやおとづれなし。如何にきかまほし
くましますらん。

  たとえ、この世では父母に孝養することはあっても、亡くなったのちの世の行末まで心配し孝養をつくそうとする人はいない。母が生きている時には、たとえ真心からでたのではなくても、一月に一度、一年に一回ぐらいは心配することはある。けれども、亡くなったのちは、初七日から二七日(十四日)忌あるいは三回忌までは、世間体もあるので形ばかり心配し弔いはするが、それから十三年四千余日ののちまでを思いやる人はいない。
 それなのに、あなたは母が生きておられた時には、一日片時の別れでさえ千万日も別れていたかのように思われていたのであるから、十三年四千余日のあいだ、今か今かと亡くなった母が自分のもとに訪れてくるのを待ちのぞんでいたことであろう。


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