郷土出身作家の活躍
 〜日本画家・創画会会員 信太金昌〜
 

文 久城寺住職 小倉 孝昭

(敬称・略)


 今年も秋の展覧会のご案内を頂き、上野恩賜公園内にある東京都美術館に足を運んだ。上野駅公園口から横断歩道を渡ると、まさに「芸術の秋」往来の人々に何か普段と変わったものを感じるのは私だけか。広い公園の敷地内には、箇所箇所でヘブンアーティストの旗を掲げ、ワンマンミュージックショウを展開していた。当日はニューヨークから、アンデスからとそれぞれ素晴らしい旋律での演奏、ミュージシャンは大いに自己表現をしながら公共空間を楽しみ、自然体で多くの人を呼び込んでいた。石原慎太郎東京都知事の新たな文化芸術の振興策の一つになったことは間違いない。
 ご存知の如く本年一月、東京都六本木に国立新美術館が開館、従来ここ上野で開催されていた秋の大きな各美術団体の公募展の半数は国立新美術館に移動、そのためこの度の第34回創画展2007は、従来に比して展示会場がワンフロア増えての開催となった。
 当寺と親類以上のお付き合いを頂いている本県三種町出身の日本画家「信太金昌」氏は今年87歳を迎えた。ここ二年前から体調を崩され、昨年の秋の不出品に続き本年も出品が危ぶまれていたが、どうにか精魂を振り絞って120号(110,6センチ×193センチ)の大作を見事描き上げられたのである。ここ数年の発表される作品には、都度、作家のメッセージがオブラートに包まれ、静かに見入る私共に命(いのち)を語りかけているように思えてならない。
 今年の出品作の題名は「見返えり峠」。画面左側には数年続けて訪れた北海道の離島、まさに人をも寄せ付けない厳しい自然界そのものが描かれ、それと対比するかのように画面右側一杯にはなだらかな曲線が描かれ、まさに人生に例えると、左側の断崖は若さ・奔放さ・大自然の摂理といった力強さを感じると共に、いや、そうじゃないよ、人生はときにゆっくり、坂を登って行くようなもの、見よ、正面の彼方にはあの美しい雄大な富士山が姿を見せているではないか。と、「見返えり峠」はこのように私に語りかけていた。
第34回 創画展 2007 「見返えり峠」 
 創画会は今年、創立60周年を迎え『「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」との宣言のもと発足し、新しい表現を探求し続ける日本絵画団体・創画会は、今年創立60周年を迎えました。発足以来、創造美術、新制作協会、創画会と変遷を続けながらも、自由かつ革新的な日本画の追求という基本理念を一貫して持つ同会は、戦後の日本画壇をリードし、新鮮な感性をもつ作家を輩出し続けています・・・=主催者』のメッセージをメーンにかかげ、秋野不炬、上村松篁、山本丘人ら創立期の14名のメンバーから新進作家に至る62名、約70点の代表作を「起・承・転」と企画し、

平成19年9月5日 東京日本橋高島屋で開催されたオープニングレセプション

去る9月5日東京日本橋高島屋でのオープニングを皮切りに、京都高島屋での展覧をへて現在は和歌山県田辺市市立美術館で12月24日まで開かれている。明年は1月2日から2月11日まで茨城県天心記念五浦会場、静岡県浜松市秋野不炬美術館2月16日〜3月30日と半年で5会場での展開となる。本県からは創造美術結成以来創立から携わった福田豊四郎の3作品「軍鶏」1954(昭和29年)、「北京の屋根」1957(昭和32年)、「平原」1969(昭和44年)展示会場によって掲載作が差し変わる〈いずれも秋田県立美術館所蔵〉と
開催初日9月5日、信太先生と出品作「森の夢」の前で記念撮影


久城寺開創五百年(平成16年)を記念して信太金昌氏みずから奉納された作品「森の夢」1951(昭和26年)第15回新制作展新作家賞受賞を、自薦作として一点出品された。120号の「森の夢」には

「搬入日が迫っていた夜、ギラギラ輝く空の草原から隊列が続いてこちらへやってくる。すると突然、ガチャンと耳をつんざく音で目が覚めた。葬式のヂャランボの鐘の音だった。私は夢から絵を描く気になり出した。私の15人姉妹弟の一部を画面に加えて東北の姿にして見た。輝く空はこの時初めて風景に金箔を使用してみた。」と『作家のことば』として紹介されていた。
 人は愛に育まれ成長、教養を身につけ、個性特技を生かしながらやがて社会人となる。政治、経済、文化、スポーツの世界へと、仕事に従事する姿は多種多様であるが、純粋無垢に芸一筋に生きている姿には何者にも代え難い感動を、水の輪がどんどん広がるように周辺に及ぼすものである。
 今般我が郷土出身の日本画家「信太金昌」を讃えるべく、氏の出生地、三種町(旧金岡村)では親類の信太政博氏が、同氏所有の文庫蔵を改装、作品を飾るスペースを作り、また150メートルほど離れた金昌氏誕生の地に記念の顕彰碑を建立されたと聞く。たぶん金昌の往年の作品が間近に飾られることであろう。絵筆を持つ力がある限り、また澄み切った作家の心を魂を私たちに見せて欲しいと願う一人である。



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