〜安全にマラソンを走るということ〜

●健康シリーズ・・・・・本間 真紀子(本間医院 院長)

 今年も東京マラソン2012が無事終了しました。天候にも恵まれ、約36,000人の市民ランナーの勇壮な姿に加え、ロンドンオリンピック代表選手選考競技会としての藤原新選手、川内優輝選手などエリートランナーによるレベルの高いレース展開は、例年にも増してエキサイティングな大会となりました。時は東日本大震災からほぼ1年、10kmの部では被災地の高校生ランナーも招待され、チャリティーの半分が復興支援に充てられる等、東京が、そして日本がひとつになった1日でもありました。私も、今回はランニングドクターとして、日比谷からゴールまでの約32kmを走って参加してきました。

 東京マラソンは、ご存じの通り、世界一安全なマラソン大会を目指し、ランナーは勿論のこと、途切れることのない声援を送ってくれる沿道の観衆160万人をも含めた安全性を最優先させているイベントです。その体制の大黒柱がAED(自動体外式除細動器)、今年もまたスタートからゴールまでの15救護所にあるAEDの他に、スタートから約1kmごとにAEDを肩にかけた救護チームが持つ28台と、スタートから5km以降救急救命士がAEDを背負い自転車で巡回監視する救護チーム(モバイル隊)の22台が待機しました。

 その中でランニングドクターの役割は、ランナーと一緒にコース上を走って救護体制を支援することでした。全国から集まった日医ジョガーズ40名が日比谷から5分間隔で6km/分、7km/分、8km/分のスピードでコース上を走ることにより、ランナーの突発事故に対し迅速に救急処置を行いました。

 今年の大会情報によれば、救急車出動数10回、うちAED装着件数1回、救護所受付者数は1,178人にのぼりましたが、幸いにも2007年から数えて6回目となる今大会まで、タレント松村邦洋さんを含めAED装着5件すべてが救命できています。

 しかし、巷では運動中のいたましい事故がニュースを賑わしているのもこれまた現実です。

 なかでも2011年8月サッカー松田直樹選手の報道は、記憶に新しいショッキングな出来事でした。そんな折、2012年1月イギリスの医学雑誌New England Journal of Medicine誌に掲載されたマラソン中のランナーの心停止の論文は興味深いものでした。

 実は、アメリカでもマラソンがブームのようになっている昨今、今まで意外にも長距離レース中に発生したランナーの心停止例を集めて臨床的特徴を調べた研究はありませんでした。これはアメリカのハーバード大学が2000年の1月から2010年の5月までのマラソンとハーフマラソンの大会中の心停止の事例を調査したものです。全体の参加者数は延べ1,000万人を超え、そのうち59例の心停止が報告されています。フルマラソンが40例でハーフマラソンが19例、うち死亡例は71%にあたる42例。女性よりも男性に多く、50才台よりも40才台に多いとの報告でした。

 生存を左右する最も重要な因子は何か、まずは心臓病の存在について

 :意外にも狭心症や心筋梗塞(冠動脈の血流が低下する病気)は助かる確率が高く、肥大型心筋症(心臓の筋肉が肥大する病気)は低いという結果でした。狭心症や心筋梗塞は、もともと冠動脈が動脈硬化で細くなっている以外に、運動中の脱水や突然のプラーク(動脈の血管壁に沈着した脂肪の塊)の破綻や交感神経系のバランスなどで予期せず起きることもあるので、いかんせん処置の仕方によっては回復できることもあります。
 これに対し、肥大型心筋症は、厚く脆くなっている心筋から心室細動という不整脈が発生し、心停止に至るのですが、日頃無症状で経過するため肥大とわからずつい無理をして走ってしまう可能性があります。

 以上、病識のあるなし、年齢のいかんにかかわらず、運動中はだれでも心停止を来たしうるということなのです。更に論文では、命に関わる重大事象として、目撃者がいかに早く胸骨圧迫やAEDなどの救命処置ができたか、という点を強調しています。


 つまり、大会運営がいかに万全の体制で望んでも、実は救命のために更に大事なこと、それはランナーや沿道の方々の「目」なのです。もしも、目前で倒れているランナーを発見したら?マラソン大会では、倒れているランナーを最初に発見するのは、まずは一緒に走っているランナー、次に沿道の方々です。東京マラソンでは、ほぼ3分以内で救護スタッフの AEDが到着できる体制がありますが、最も予後を左右するのは、救急隊が到着までの、すぐ近くにいる人がいかに迅速な胸骨圧迫などの救命処置したかどうかにかかっています。それはマラソン中に起こる心停止の主要な現象である心室細動は、応急手当をせずに放っておくと1分間7〜 10%ずつ救命率・社会復帰率が低下することが実証されているからなのです。

 ではどのような方に動脈硬化が多いのでしょうか。

 日頃タバコを吸う、血圧が高い、尿酸値が高い、肥満気味、糖尿病がある、心筋梗塞・狭心症の診断を受けている、といった発症リスクを高める要因もありますが、健診で心電図の異常を指摘されている、突然死をした家族や親族がいる、といった肥大を疑わせる事象にも注目する必要があります。

 更に、風邪ぎみである、薬を飲んだ、前夜にお酒を飲んだ、よく眠れなかった、朝食を食べられなかった、最近疲れがとれない、強行スケジュールで会場入りした、などレース当日の体調管理も関連してきます。今一度、老いも若きも、走る人ならだれでも事故を引き起こす可能性があ、このことを再認識しておきましょう。

 人類史上初のマラソンレースが行われた 1896年、ギリシャでは 25名の勇気あるランナーでさえ完走者はわずか9名でした。それから 116年が経過した今日、東京マラソン完走率 96.5%が示す如く、見るスポーツから参加するスポーツへと進化したマラソンは、走ることにより市民ランナーはもとより、観衆の人々にも数々の恩恵と生きる勇気をももたらしてくれるスポーツになりました。そして東京マラソンの成功に続けとばかりに、 2010年には奈良、 2011年には大阪、神戸、 2012年には熊本、京都と、続々と市民マラソン大会が創設されています。このような状況下、更なるマラソン普及のためにも、今こそランナー自身のより一層の安全管理も強調したいと思います。日頃のコンディション作りもさることながら、レース当日は特に無理・無茶・無謀はさけて、体調がすぐれないときは“あえて出場しない勇気”を持つことも、長く健康的にランニングを続ける秘訣です。もしあなたの身近で倒れている人を見つけたら…、実はこれはマラソンに限ったことではありません。次回は “だれでもできる AED”について、ご一緒に考えてみたいと思います。

救命のために大事なことは、ランナーや沿道の人々の「目」・・・すぐそばにいる人たちの迅速な胸骨圧迫などの救命処置が・・・命を救う 


外部リンク
TOKYO MARATHON 2013

東京がひとつになる日
2013年2月24日開催

健康シリーズ コラムへ戻る