御遺文

〔伊豆流罪〕

下山御消息 1330 夜中に、日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、その夜の害もまぬがれぬ。然れども心を合わせたる事なれば、寄せたる者も科なくて大事の政道を破る。日蓮が生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ。
破良観等御書 1286 きりもの(権臣)ども寄り合いて、まちうど(町人)等をかたらいて、数萬人の者をもんて、夜中におしよせ失わんとせしほどに、十羅刹の御計らいにてやありけん、日蓮その難を脱れしかば、両国の吏、心をあわせたる事なれば、殺されぬをとがにして伊豆の国へながされぬ。最明寺殿ばかりこそ子細あるかとおもわれて、いそぎゆるされぬ。さりし程に最明寺入道殿隠れさせ給いしかば、いかにもこの事あしくなりなんず。いそぎ、かくるべき世なりとはおもいしかども、これにつけても法華経のかたうど、つよくせば、一定、事いで来たるならば身命をすつるにてこそあらめと思い切りしかば、讒奏の人人いよいよかずをしらず。上下萬人、皆父母のかたき、とわり(遊女)をみるがごとし。
妙法比丘尼御返事 1561 今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。これを知りながら申さずば、たとい現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし。後生を恐れて申すならば流罪死罪は一定なりと思い定めて、去る文応のころ故最明寺入道殿に申し上げぬ。されども用い給う事なかりしかば、念仏者等、此由を聞きて、上下の諸人をかたらい、打ち殺さんとせし程に、かなわざりしかば、長時、武蔵の守殿は、極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知りて、理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ。



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