御遺文

〔出家得度〕

波木井殿御書 1925 天福元年癸巳、十二歳にして清澄寺に登り、道善御房の坊に居て学文す。時に延応元年己亥十八歳にして出家し、
妙法尼御前御返事 1535 日蓮、幼少の時より仏法を学び候いしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出る気は入る気を待つことなし。風の前の露なお譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習いなり。されば先づ、臨終の事を習うて後に他事を習うべし、と思いて、一代聖教の論師・人師の書釈、あらあらかんがえあつめて、これを明鏡として、一切の諸人の死するときと、ならびに臨終の後とに引き向えて見候えば、すこしもくもりなし。此人は地獄に堕ちぬ、ないし人天とは見えて候を、
妙法比丘尼御返事 1553 民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此度、いかにもして仏種をもうえ、生死を離るる身とならんと思いて候いし程に、皆人の願わせ給うことなれば、阿弥陀仏をたのみたてまつり、幼少より名号を唱え候し程に、いさゝかの事ありて此事を疑いし故に、一つの願をおこす。日本国に渡れる処の仏経ならびに菩薩の論と、人師の釈を習い見候わばや。(中略)禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。これらの宗宗、枝葉をばこまかに習わずとも、しょせん肝要を知る身とならばやと思いし故に、
善無畏三蔵抄 473 日蓮は安房の国東条の郷清澄山の住人なり。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てゝ云く、日本第一の智者となし給えと云々。虚空蔵菩薩、眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき。



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