御遺文

〔召し取り〕

神国王御書 892 日中に鎌倉の小路をわたすこと、朝敵のごとし。その外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし、その室を刎ねこぼちて仏像経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを、とりいだして、頭をさんざんに打ちさいなむ。このこと如何なる宿意もなし。当座の科もなし。ただ法華経を弘通するばかりの大科なり。
種種御振舞御書 963 文永八年太歳辛未、九月十二日御勘気をかおる。そのときの御勘気のようも常ならず、法にすぎてみゆ。(中略)平の左衛門尉大将として数百人の兵者に胴丸きせて、烏帽子かけして眼をいからし、声をあらうす。(中略)日ごろ月ごろ思いもうけたりつる事はこれなり。さいわいなるかな法華経のために身をすてん事よ。くさき頭をはなたれば沙に金をかえ珠をあきなえるがごとし。さて平の左衛門尉が一の郎従、少輔房と申す者、走り寄りて、日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出して面を三度さいなみて、さんざんと打ち散らす。また九巻の法華経を兵者ども打ち散らして、あるいは足にふみ、あるいは身にまとい、あるいは板敷たゝみ等、家の二三間に散らさぬ所もなし。日蓮大高声を放ちて申す、あらおもしろや平の左衛門尉がものにくるうを見よ。殿原、ただ今ぞ日本国の柱をたおすとよばわりしかば、上下万人あわてて見えし。日蓮こそ御勘気をかおれば臆して見ゆべかりしに、さはなくしてこれは僻事なりとや思いけん。兵者どもの色こそ変じて見えしか。十日ならびに十二日の間、真言宗の失、禅宗・念仏等、良観が雨ふらさぬこと、つぶさに平の左衛門尉にいいきかせてありしに、あるいははと笑い、あるいはいかり、なんどせし事どもは、しげければしるさず。



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