宝 塔 偈

法華経見宝塔品第十一の偈文(詩句)であるところから、「宝塔偈」という。法華経を末世に信じ行いひろめることの困難さをあかし、その苦難にひるまないで、つねに法華経を信じ、読み、知り、説いていかねばならないことを教えている。わたしたちは、法華経を信じ行うことが、ほんとうの勇気であり努力であることをしっかりと心に刻み、この経文を読誦しなければならない。

妙法蓮華経 見宝塔品第十一 偈文 訓 読
 此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然
 如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進
 是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏道
 能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地
 仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼
 於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養
  此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は
  我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり
  是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり
  是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり
  是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く
  則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり
  能く来世に於て 此の経を読み持たんは
  是れ真の仏子 淳善の地に住するなり
  仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは
  是れ諸の天人 世間の眼なり
  恐畏の世に於て 能く須臾も説かんは
  一切の天人 皆供養すべし


現代語訳

この法華経を 信じ行うことは たいへんむずかしい
もし 少しのあいだでも この法華経を信じ行うものがいたならば
わたし釈迦牟尼仏はそのときたちまち 心から喜ぶであろう
これは わたしだけでなく もろもろの仏たちも同じである
このように 法華経を信じ行う人を
もろもろの仏たちは ほめたたえるのである
法華経を信じ行うことを ほんとうの勇気があるというのである
法華経を信じ行うことこそ 真の精進なのである
これを 仏の教えを信ずるものがもつべき戒めをたもち
すべてを捨てさって
ひたすら仏の道を求め行っているものというのである
法華経を信じ行うならば
たちまち すみやかに
この上なくすぐれた仏の道を体得できるのである
未来の世に生まれて よく
この法華経を読みつづけるならば
この人はこれ ほんとうの仏の子であり
きよらかで善にみちたところに安んじて住むことができるであろう
仏であるわたしが 滅したのちの世で
よく 法華経の教えを 信じて理解するならば
この人は もろもろの天上界の人びとや この世の中の人びとを導く眼となるであろう
恐ろしい末の世において
よく ほんの少しのあいだでも この法華経を説くならば
すべての天上界の人びとは
みな この人を供養するであろう