唐代の玉門関遺跡にて 筆者

〈5月〉

黄砂浴ぶ玉門関に杯交わす
俳句のコメント

 「黄砂浴ぶ玉門関に杯交わす」

 この句は友人と中国敦煌に行った時の句である。

古代シルクロードの中国側の起点として名高い敦煌の西100qの所に玉門関があった。玉門関はタクラマカン砂漠を抜けて西域・天山南路へ通ずる重要な関門であると同時に、異民族の侵略から領土を守る重要な軍事拠点でもあった。

 そこには、玉門関址が唯一残っており、他は何一つなく荒涼としており、辺り一面に土埃の舞う砂漠が広がっていた。西方5qには万里の長城の後に漢代に築城された長城跡が風化し僅かに残っていた。

 昔は遠く西域へ行く人の安全と無事帰還を祈って杯を交わし、見送る最後の地点であり、唐代の詩人・李白や王之渙はこの地を題材に多くの詩を詠んでいる。我々は友人と共に暫くこの地で観察してしばし往時を懐かしんだ。

 また敦煌の見所に「莫高窟」(ばっこうくつ)がある。1600メートルの岩壁に石窟が490掘られ、約千年にわたり多くの壁画と2400体の彩色塑像が残されていた。
 その中で、名のある50程の窟に入り、彩色の美しい菩薩像や壁画を堪能して中国の歴史の長さを実感した。中には奈良の仏像を彷彿させる壁画があり、驚いた。また、玄奘三蔵が経典を求め、西暦629年にはこの「玉門関」を通り、砂嵐の吹き付けるタクラマカン砂漠を歩き、天山山脈を越えてインドに向かっている。


漢代の長城跡(壁は芦と土をつき固めたもの)


(莫高窟の風景)

参考資料(住職 撮影)



インド アジャンタ遺跡 第1窟 蓮華手菩薩(壁画)
紀元前1世紀〜7世紀まで造営が続いた。法隆寺金堂に描かれている勢至菩薩像等と比較され、
そのルーツといわれる。