俳句のコメント
「紅玉や昔青函連絡船」
我々の育った頃のりんごと言えば「紅玉」であった。りんごの本場は青森であるが、秋田も小坂・平鹿・増田などと長野県・岩手県・山形県に次ぐ、りんごの産地と言っていいだろう。
東北の秋田育ちとしては、北海道は内地外地などと区別なく、身近な存在であったし、往来の交通手段はもちろん「青函連絡船」であった。
私は勤務先として青森市で3年ほど住んだことがある。
その頃はまだ「青函連絡船」は充分に健在であった。仕事や旅行などで何度となく乗船した思い出があり、と同時に、本場の「青森りんご」も堪能した。
三輪自動車の荷台に、落ちんばかり一杯に木箱を積み上げて、「りんごーりんごー」と拡声器から売り家の大声が町全体に響いていた。
今となっては、紅玉は、ふじ・王林などに品種が代わり、青函連絡船はもはや思い出の中にある。
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