立教開宗750年

立教開宗の聖地から

映像

清澄寺散策

15分35秒・ストリーム形式


旭ヶ森からのご来光

4分59秒・ストリーム形式


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ビデオ撮影・編集:小倉 孝昭

                <日蓮宗のポスター>

建長5年4月28日・日蓮聖人が「我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本の大船とならん」
と三大誓願を立てられ、お題目を唱えられてより750年
私たちも新しい時代の中で、生きとし生けるもののために
菩薩のひとりとして生きていこう
お題目を伝え広めていこう
との誓いを立てましょう。



「750」千載一遇の喜びと決意
 日蓮宗新聞社・論説委員 石川 浩徳


 立教開宗750年のご正当に巡り合うことができたことを、わが人生の中で意義深く感じる。法華経をどう生きたか、四月二十八日、宗祖にご報告したい。
 私たちは奇しくもこの嘉年に出会い生きている。しかも宗祖日蓮聖人が命懸けで唱え広められたお題目をいただいている。信仰する者にとって、この仏縁の不思議さと有り難さ、巡り合わせは無量の喜びである。「千載一遇」とはこのことだ。再び遇うことのできない立教開宗七五〇年、しかも今年は宗門が推進してきた「お題目総弘通運動」の最終年でもある。この運動は七五〇年を目標にして本宗の僧侶・檀信徒全員が担い手となって、積極的に広宣流布に邁進しようと決めたもの。その成果はどうだったろうか。
 宗祖は「わが門下は、夜は眠りを断ち昼は暇をとどめてこれを案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔いることなかれ」(富木殿御書)と、私たちの信仰姿勢について厳しく示された。このお言葉は在家出家にわたるものである。これを案ぜよとは何か。法華経お題目に絶対の信を入れ、自ら信行に励み他をも勧め、共にこのお題目の功徳をもってこの世を浄土にしていくために常に精進せよ、と信受した。
 せっかくこの世に生を受け、尊い教えに遭いながら、その通り精進してきただろうか。立教開宗七五〇年をお迎えして、宗祖へご報告のできるほどのことを為し得ただろうか。反省しきりである。
 宗祖のご誓願は、お題目によって世の中の全体を浄化し、平安な社会造り、国造り、すなわち浄らかな世界の実現にある。しかるに宗祖ご在世の鎌倉時代と今日の世の中と比較したとき、いかに科学が進歩し生活が便利になったとはいえ、根本のところでは少しも変わっていないのではないか。戦争は相変わらず起こり大量殺戮の兵器が充満し「闘争堅固」はいよいよ強大になり、一触即発の状況はあちこちに存在している。そればかりではない。地球規模の自然破壊は進み、政治は曲がり、経済は混沌とし、家族の信頼関係は希薄になり、多くの人は迷いの中にいる。暗い世相は鎌倉時代に似ているし、世界に広がっていると言わねばならない。ひとたび歯車が狂うと、テロだの報復だのと互いに武器を持って相争い、何の罪のない人の命までも残虐に奪う。いつになったらこの愚かさから人間は抜け切れるのだろうか。
 浄土の実現は遠く、口では平和を叫びながらも破壊と殺戮とを繰り返す戦争。お釈迦さまは「我、もろもろの衆生を見れば、苦海に没在せり」(寿量品)と仰せになっている。今日の世界はまさに苦海に没した姿であり、愚かな衆生はそれに気が付かないでいる。
 平等大慧の法華経をいただき、日蓮聖人の教えに従って信仰に精進する我々は、立正安国の世界実現を目指して、これからも正しいお題目をもっともっと広める努力をせねばならない。迷いから目を醒ます秘法は、お題目だけである。
「願わくはこの功徳を以って、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と、皆共に仏道を成ぜん」(化城喩品第七)とお釈迦さまは、自らも励み人をも教化する「自行化他」の実行こそ大切であり、私たち法華宗徒の常に忘れてはならないことであると示されている。
 日蓮聖人は、清澄山に雄々しくお立ちになり、東天に昇る太陽に向かって大音声にお題目を唱えられ、「我れ日本の柱とならん、我れ日本の眼目とならん、我れ日本の大船とならん」との大願を立て法華経に命をかけられた。私たちも改めて広宣流布への再出発を、ご正当に遇い会えた喜びと共に、お誓いしたい。
――― <平成14年3月1日号・日蓮宗新聞 論説>

平成14年4月28日 午前8時 立教開宗の聖地・千葉県安房郡 千光山 清澄寺では晴天の下

盛大かつ厳粛裡に慶讃大法要を営みました。


宗徒の私たちは心新たに「南無妙法蓮華経」のお題目を!


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