第11回 仏教文化公開講座 |
現代に法華経を読む その三 「如来神力品第二十一」 |
南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
只今ご紹介を頂きましたが、大阪の本養寺から参りました難波宏正と申します。秋田にお紹き頂きましたのはこれで三度目でございます。平成十一年より三回に渡りまして、方便品、寿量品、神力品の三つのお経について、いったいどういうことが説かれているのかをシリーズで話してもらいたいというご依頼がございまして、まことに有難いことでありますので、お引き受けを致しました。平成十一年には方便品、平成十二年には寿量品、その後二年空きましたが、本年第三回目として如来神力品のお話を申し上げたいと思います。本県では、インターネットのホームページ上に私の方便品と寿量品の講義録を載せていただいており、有難く思っております。今回は、いままでの総まとめをしながら、神力品のお話進めさせて頂きます。
さて、今日は、この秋田県の中心部、秋田市内でのお集まりということでございまして、お迎えいただきました車中でいろいろ尋ねましたところ、秋田県の北部・中央部・南部それぞれの方々の中で、以前私の話を聞かれた方々が、三度目の神力品ということでおいでになっているということを承りまして、まことに有難く、嬉しく思っております。秋田県と申しましても、北から南まで広うございまして、車で移動するにも時間がかかった記憶がございます。平成十一年でしたか、秋田県の北部に参りました時に、伊丹空港から秋田空港までは一時間と少しで来られたのに、そこから会場の本光院様までずいぶん時間がかかったことを思い出しまして、飛行機より車で移動した距離の方が長いような錯覚をしました。今日のスケジュール表を拝見致しますと、九時の受け付けですので、遠方の方はいったい何時に家を出発されるのかと思いました。そう考えますと、道中長い時間をかけてお集まりいただいて、十時から講演、法要を済ませていただき、昼食休憩をしまして、午後は唱題行、引き続いて私のお話をお聴きいただいているわけですが、丁度今はお腹もふくれて一番眠くなる時間帯であろうかと思います。もし眠くなられたら、どうぞ遠慮なさらずに静かにお休み下さい。横にもたれかかったり、大いびきをかいたりすることだけお控え下さればどうぞお休み下さい。ただ永眠されては困ります。これだけお坊さんが沢山いらっしやいますので、その場で枕経ということにならないように、時々目を開けていただければ有難いと思います。
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今日私が申し上げますことは、ある意味ではお檀家さんにお話しをすることとは少し趣が異なるかも知れません。と言いますのは、本日のテーマである「現代に法華経を読む」に添って進めて参りますと、多少なりとも難しい話が入って来るかも知れないからであります。ですから今日は、少し勉強をしに来たんだ、というつもりで聴いて下されば有難いと思うのでございます。テーマの「現代]ということばを分析しようと広辞苑を引いてみますと「現在の時代」と書いてあります。解り易いというか、当たり前というか「現在の時代」ということは、私たちが今こうして生きている時代のことを指す。そして詳しい説明として、「第二次世界大戦以後の時代を現代と定義する」と一応こう記しております。それではこれから五十年後、百年後の広辞苑には「現代」はどう説明されているでしょうか。やはり冒頭には「現在の時代]と書いてあることでしょう。しかし、詳しい説明に「第二次世界大戦以後の世界」と書かれてあるかは不明であります。ともかくも、私たちが今、共に語り合い、目見え合っているこの時代を現代と名付けることには違いがないようであります。といたしますと、私たちが今この現代という時を見つめます時に、どいう視点からこれを見つめるか様々な見方があるかと思います。例えばお釈迦様のご活躍あそばされました時代は今からおよぞ三千年の昔、この私たちが生きている平成の時代から見ますと、遠い昔の話になるわけですね。それから我々のお師匠様であります日蓮大聖人がご活躍なさいましたのが、今からおよそ七百五十年前の鎌倉時代であります。これも今からたどってみますと、また遠い過去の時代になります。私たちが今生きているこの時代に視点を置いて時を見つめますと、お釈迦様の時代も日蓮大聖人の時代も、皆過去の時代のーページになってしまいます。そういたしますと、この現代ということばをどう解釈するかでありますが、お釈迦様や日蓮大聖人の時代もそれぞれ良かったかも知れませんが、今日の平成においてはそれでは通用しないと言うのです。だから、お釈迦様や日蓮大聖人とは違った方法で何か法を伝える、こういう道筋はないものだろうかと、さかんに宗門でも今協議しているところでございます。
私がそこで一つ疑問を感じますことは、自分達の歴史認識の眼から見ますと、今が全てであります。お釈迦様や日蓮大聖人といえども、皆過去の歴史のーページに収まってしまいます。しかし、私たちは単に現代人であるというだけではなくして、忠実なる、お釈迦様の一信徒として生きることを誓った仏教徒であるはずであります。そして仏教徒である以上は、その時代の歴史認識というものを、お釈迦様の眼に添って見つめて行くことが必要であると思うのであります。お釈迦様がご活躍あそばされましたのは、今からおおよそ三千年の昔のことであります。そこはインドという国でございます。そこでお釈迦様は八十年という生涯を終えられましたが、その後の時代に生まれて来る人々のことを心に掛けられておりました。それは後の法華経の話の中で詳しくお話し致します。お釈迦様がご存命の時は、ご自分が目の前の人を責任をもって教化なさるから何も心配ない。けれどもお釈迦様がお隠れになった後にも人は生まれて来るわけでございます。これを仏教の言葉では「仏滅後」と申します。あるいは「如来滅後」とも申します。この、お釈迦様以後の時代の人々をいったい誰が救うのか、ということが大きな課題になってくるのでございます。そこで、お釈迦様は自分がお亡くなりになった時代を「仏滅後」、ご存命の時代を「仏在世の時代」と定義されました。そして仏滅後の最初の一千年を「正法の時代」、その次の一千年を「像法の時代」とし、その両時代が過ぎ去った後の時代を「末法の時代」とされました。その「末法の時代」の最初の五百年に、この娑婆世界、わが日本国にお誕生あそばされましたのが日蓮大聖人でございます。日蓮大聖人は末法という時代に生きる衆生(人々)を救うことを使命とされたのでございます。お釈迦様は仏滅後二千年を過ぎた末法の時代に生きる人々を救うことが、法華経の主眼であるということをお説きになっておられるわけですが、そのように考えますと、日蓮大聖人の鎌倉時代も現在の平成時代も、お釈迦様の歴史観から見ますと、共に末法という枠組みの中に集約されるわけでございます・深草の、元政上人が詠まれた歌の中に「倶に末法に生じて師に逢わず」という下りがございます。これには、「同じ末法の時代に生まれながら日蓮大聖人に親しくお目に掛かって化導教育を受ける機会に恵まれなかったことは実に残念なことである」との思いがこめられているのです。私たちも、その一員であります。同じ末法という時代に生まれながら大聖人に直接お目にかかることはできません。それで、先程申しましたように、末法という時代はどういう人が生まれて来る時代かということをお釈迦様は法華経の如来寿量品の中でお説きになっている。これも後に触ねますが、お釈迦様の衆生教化の化導を拒んだ人たち、又はお釈迦様の在世の救済にもれた入たちがこれに当るのです。こういう人たちは、いまだお釈迦様の大慈悲を受け入れる心の準備ができていない人だから、これを寿量品には「失本心故」(本心を失えるが故に)と、こう書いてある。この末法に生まれて来る人を救うためには、お釈迦様は、通常の化導ではかなわない。そこで寿量品には「是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。」(是の好き良薬を今留めて此に在く。汝取って服すべし、差えじと憂うること勿れと。)という言葉を終りに残しておられるのです。その「良薬」とは何でしょうか。これは、法華経一部八巻二十八品を指すのではありません。この良薬は妙法蓮華経の五字、七字の御題目のことでございます。お釈迦様は末法の衆生生を救う、その最高、最善の良薬として、諸経の中から「擣篩和合」(細かく粉にして入らないものを捨てて、役に立つものだけを調合する)して、南無妙法蓮華経の御題目を与えたのです。そしてお釈迦様はこの良薬を「今留在此。汝可取服。勿憂不差。」(今留めて此に在く。汝取って服すべし、差えじと憂うること勿れと。・・・ここに良い薬を置いておくので、私が亡くなった後で飲みなさい。決して心配はない。必ず病気が直ると信じてこれを飲みなさい。)と遺言なさったのであります。この良薬こそ御題目であり、これを受持し感謝することによってありとあらゆる問題が解決し、毒に侵された病が完治するんだと約束して下さった。更にそれを疑わずして御題目を持てば遂には成仏することができるということを遺言として寿量品に留め置かれました。
お釈迦縁は、ご自分の亡き後、この良薬である御題目をお預けし、末法の衆生に取り継ぐ人をもすでに任命あそばされていたのでした、それが今日のメインテーマになります如来神力品の舞台でございます。日蓮大聖人の著書、観心本尊抄によりますと、如来寿量品の中で、お釈迦様は姿を隠され、そして遠く余国に旅に出られ、御自ら末法には姿を現わすことはありませんでしたが、その愛弟子の上行菩薩を使いとして末法の世に送り出すという約束事が如来神力品に示されてあると著さわております。「今の遣使還告とは地涌なり」、つまり地涌の菩薩の代表格が上行菩薩であり、これが人間の肉体と人格をもって末法に現れたのが目蓮大聖人ご自身であるとご自覚なさいました。しかし世間の人々は、「大聖人はたまたま鎌倉という時代、南房総の小湊にお誕生あそばされ、清澄で出家得度し、鎌倉での遊学を経て比叡山で行学二道の修行に励まれました。その結果、三十二才の時にお釈迦様のご本懐は法華経にあるという結論に到達されました。日蓮大聖人という宗教者とお釈迦様が 説かれた法華経という法が比叡山で目立たく出遭われて一つに結びついた法華経の行者となられた。」と考えるでしょう。宗門の中でもそんなように考えておらわる方もいらっしやいます。しかし、今の寿量品と神力品の話しから整理いたしますと、そういう解釈はどうやらまちがいのようであります。
寿量品によりますと、滅後末法の最も重い毒の病にかかった衆生を救うためには、この御題目の薬をもってあてがうより仕方がないということがわかり、神力品によりますと、この御題目の薬を末法の時代に具体的にお取り継ぎして広める入を任命せねばならない、そわは誰かといえば上行菩薩である。その上行菩薩に全権を託す、仏教の言葉でいえば付嘱するとお釈迦様が宣言されたことがわかるのでございます。この寿量品と神力品のお釈迦様との約束を果たさんがために、上行菩薩は「時」を選んで末法の始めに、「所]を選んで我日本国に「人」を選んで日蓮と名乗ってこの世に出現されたわけでございます。法華経という「法」と日蓮という「人」が別々のところから出発して偶然出会ったのではなく、日蓮大聖人は生まれ出づる以前から上行菩薩であり、その上行菩薩が人間の身体を示してお出ましになったのが日蓮大聖人であることが理解されるとき、日蓮大聖人こそ法華経の中から生まれた宗教者である。こういう認識を是非ともせねばならないと思うわけでございます。
日蓮大聖人は末法の衆生に対しては、相手が嫌がろうと、横を向こうと、とにかく南無妙法蓮華経、これを聴かすべしとおっしやっております。これを観心本尊抄の終わりで、「地涌の菩薩が出現して唯、南無妙法蓮華経の御題目をもって末代幼稚に服せしむ」、と表される。あたかも如来神力品のお釈迦様との約束を実行せんがために、また、如来寿量品の、「是の好き良薬を今留めて此に在く、汝取って服すべし。」というお釈迦様の遺言を伝えんがための大聖人がとられた布教形態であります。これを今の私たちが、あれは鎌倉時代だから、日蓮大聖人だからできたことだとか、現代は昔と違って今風の伝え方があるのだから、それに合った解釈のし方があるだろうとか色々と考えようとします。それは現代の衆生を教化するために発することでありますから、決して悪いことではありませんが、日蓮大聖人ご自身はこのような色々な考えについてどうお考えあそばしたか、こねは注意すべきことだと思います。
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大聖人ご在世の鎌倉時代にも、大聖人のお弟子やご信者など多くの人々がその許(たもと)から離れて行ったという記録がございます。それは大聖人が龍ノロの頸の座の難を逸れて佐渡ケ島への流罪が決ったその前後の事でした。それはどういうことかと申しますと、大聖人は清澄で立教開宗の宣言をあそばされた直後より被った大小数々の災難に関係することでございます。大聖人は立教開宗宣言の直後、地頭東条景信に追われて清澄山を下山することになります。その後鎌倉の松葉ケ谷のご草庵を何者かに焼かれ、伊豆の伊東では流罪にあわれる。小松原では母君の病気見舞に来たところを東条景信に襲われ、最後は幕府の手によって捕らえられて、瀧ノロの刑場で首を刎ねられんとする、そして佐渡ケ島に流罪になる。この大聖人のお姿を当時の弟子信者は目のあたりにして一つの疑問を抱くのです。それは法華経の薬草喩品第五というお経の中に「現生安穏。後世善處。」(現世は安穏にして後には善處に生ず。)と書いてあるではないか、と。これは大聖人の弟子、信者のみならず、我々でも皆願うことでございましょう。信心しておって現世が安穏になることは、真に有難い現世利益でございます。その中で生き通すことができたならば、願わなくとも後には善き拠に生まれると書いてある。「後生善拠」念仏をたのんで阿弥陀の浄土に往生することを願わずとも、現世安穏なれば、後には善き拠に生まれる。だから皆信心したのであります。ところが自分たちのお師匠様である大聖大のご生涯を拝見するとき、どこが現世安穏なのか、大難は四箇度、小難は数知れず、一つも現世安穏ではないのではないか、と。ということは、法華経に説かれているお釈迦様のことばに偽りがあるから人聖人は現世安穏が実現しないのか。あるいは大聖入御自身が仏様のお使い、法華経の行者ではないのではないか・・・。こういう疑問が涌いて来たわけですね。それを弟子、信者がお師匠様にお尋ねになる。日蓮大聖人はそれに対してこう答えます。それは、現世安穏とは、困ったことや悩み事が全部解消するとか、今まで辛くあたっていた人が優しくなる等のように、自分を取り巻く環境が全て変わって、自分も穏やかになるということを言っているのではない、と仰せになるのですね。それではお師匠様にとっての現世安穏とは何なのですか。と、お弟子が尋ねると、何と驚くべきことに、「難来たるを以て安楽行と心得べし」と、こうおっしやる。御自分が法華経の行者としての題目布教の務めを果たすその途上でこれを妨害する人が出て来る、これが法難であります。それが次から次に来る。これをもって、これはかなわんわい、といって背を向けたら法華経の行者ではありません。様々な妨害がそこに加わるということは、お経に説かれた仏様の未来記すなわち予言です。これが適中したということは、自分が法華経の行者であることの何よりの証であるから、「難来たるを以て安楽行と心得べし」これが現世安穏の偽わるべからざる姿なのだと、こう解釈あそばされたのです。しかし、大聖人はこういう説明を信者に対し、日夜怠らず、繰り返していたにもかかわらず、真の時に皆退転して逃げてしまう。干人いれば九百九十九人までがいなくなってしまったのです。なぜ逃げ出したのか、お弟子にはお弟子の言い分かあるんですね。何といったか。それは、「日蓮大聖人はお師匠様にておわしますが、あまりに恐し。」それは、あの鎌倉幕府が目蓮大聖人の一統を弾圧している時に、南無妙法蓮華経と自ら声を出して大音声に唱えるということは、自分は日蓮大聖人の信者であるということを世に公言することになったわけです。今、皆さんがお寺の本堂で、あるいは家の仏壇で南無妙法蓮華経と唱えたときに、警察に引っぱられて罰せられることがありますか。これはない。もしやりすぎて引っぱられるなら、せいぜい騒音防止条例くらいのものでしょう。まして命の危険に及ぶことはまずない。しかし鎌倉時代はそれをすれば命にかかわる迫害を受けることもあるので、日蓮大聖大の信者であることを宣言し、御題目を唱えることを世に訴える手段とした場合、大変な勇気がいる行為になるわけです。でも大聖人はそれをしなさい、と言う。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。と声も惜しまず唱うべし、と言う。今、平成の今日に我々が御題目を声に出して唱えましょうという意味あいと、鎌倉時代の頃に大聖人が信者に声を出して唱えろと言った意味とはずいぶん趣が違うことも事実であります。しかし、それを要求されますと、お弟子は牢獄につながれる。信者が武士なら、お家断絶か所領没収という苛酷な制裁が待ち受けている。その通りやったのでは、身がもたない、家庭がもたない。そこでお弟子は、「日蓮御坊はお師匠様におわしますがついて行けない」と訴えるわけです。ではお弟子たちは皆目蓮大聖人に背を向けて、法華経を捨てるのかというと、捨てはしないのです。何というか、捨てないかわりに、「もっと和らかに法を広めてはどうだろう」と言うのです。お弟子も信者もそう言うんです。お師匠様のように真正面から行ったら身がもたない。しかし私達は法華経を捨てはしない。もっと和らかに、穏やかに法を広める方法があるやも知れないから、これを探し、求めて研究したい、とこう言った。その時に大聖人が「そうか、それも一つの道だから君たち、よく研究して努力しなさい。」とお認めになったかどうか、ということが問題であります。
私たちはこれをよくよく注意して見ていく必要があります。日蓮大聖人はこうおっしやっている。「総じて予が弟子という者は、我の如く正理を修行せよ。わしがやったように、その通りに正しい道理を修行しなさいというのです。「日蓮より別の才覚無益なり」上行菩薩である目蓮が、この手段しかないと旗印を掌げて折伏逆化の題目布教をした。それに対して、弟子たちは和らかな法を広むべしとの考えの上に別の方法を講じてみて何とか研究しましょうという。これは大聖人の眼からすれば「別の才覚」ということになる。君たちの才能や工夫の世界でそういうものがあろうはずがない。これはいくら詮索してみても「無益だ]利益がないといわれるのです。つい先日、熊本で行われた僧侶の研修会でのことですが、「鎌倉時代とは違う平成時代に適応した布教を考えよう」という試みがなされておりまして、そこで賛否両論がございました。賛成する人は、今は時代が違う。この時代に添った布教方法を研究すべきだ、と言います。確かに私達の眼から見れば平成と鎌倉は違うように映ります。しかし、お釈迦様の眼に映る平成も鎌倉も共に末法という時代の一部であります。これを覆すことはできない。こわを否定すれば釈尊の言葉に背を向けることになるから、それはできないことだと、私は一言、苦言を呈して参りました。だから「現代に法華経を読む」というのは、平成の時代の人に解り易く解説することが主なる目的ではなく、平成の時代にお釈迦様の心を伝えるというのはいかなることか、この時に生きる我々は、お釈迦様の眼から見ればどういう人間なんだということを知らしめるところから出発せねばなりません。それを法華経の寿量品には「失心狂子。」(本心を失い狂ってしまった子供)と表現し、日蓮大聖人も観心本尊抄に「末代の幼稚」と表現しておられる。こわは、仏法のことが何もわからない人を指すのです。ただ知識が無いだけではなく、残念なことに神仏をも認めようとはしないし、お釈迦様の救済の大慈悲に対しても背を向けてしまう。こういう人たちが生まれて来る時代、これを末法と定義されたのです。この末法の衆生を救うのは、法華経一部八巻二十八品の経典ではない、これは、お釈迦様と同じ時代に居合わせた在世の衆生を救うための教えである。
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先程、僧侶の研修会の話しをしましたが、僧侶の話しでも良く注意せねばならないのです。世間話し、道徳論を主眼に話をしておいて、最後のまとめの十分程で、「だから皆さん、法華経なんです。」という結論で結ばれるのはいかがなものですか、ということです。「法華経なんです。」のところを「念仏なんです。」と言ってもつじつまが合ってしまう話しばかりなんです。それからもう一つ。「法華経なんです。」と言ったすぐ後に「御題目を唱えましょう。」と言う。いったいどっちを訴えたいんだということになるわけですが、ここをはっきりしておかなければならない。
お釈迦様は、法華経は特に在世の衆生を救うために役に立つ法門。滅後末法の衆生は、その法華経を更に擣篩和合して調合した良薬である御題目でなければ救われる道はない、と定義されておいでになる。
それを私たちが混同しまして、この平成の現代に法華経を信じましょう、というのは結構だが、「法華経によって我々が成仏する」という伝え方をしたならば、それは日蓮大聖人の教えのみならず、お釈迦様の寿量品、神力品の説法から逸脱しますね。
末法はともかくも、御題目であります。御題目を唱え広めることが最も肝要の法門なのです。このことを日蓮大聖人は報恩抄というご遺文の中に「今、日蓮が広める御題目は未だ天台、伝教等の弘通したまわざる正法なり。」とおっしやっています。同じ法華経を信心した中国の天台大師も、日本の比叡山の伝教大師も未だ教え広めたことがない正法なのだというのです。それは何かと尋ねますと、三つあると。一つには本門のお釈迦様、教主釈尊を御本尊とすべし。二つには本門の戒檀、三つには本門の題目である。これが末法に建立すべきお釈迦様の救いの教えであると説かれたのです。法華経で人が救われる時は像法。すでに天台、伝教がなさったことなのです。末法はそれでは通らない。だから大聖人は御題目の公宣流布を実践された。これがなかったら大聖人は比叡山の天台宗の僧侶としてお仕事をなされば良かったかも知れません。上行菩薩のご使命は法華経を広めることではなく、法華経の中から擣し和合された御題目を広めることであると解釈すべきではないかと思います。現代に法華経を読むという本来的な意味はここに存在するのではないかと感ずるわけでございます。
さて、「伝える」ということばは、大変大事なことばだと思います。広辞苑を紐解いてみますと「ことばを取り次ぐこと」と書いてあります。「法華経を伝える。」と言った場合、法華経はお釈迦様の金言でありますから「お釈迦様のことばを取り次ぐこと。」となるわけで、伝える人自身の思いを伝えたのでは「法華経を伝える。」ことにならないのです。これは法華経の随喜功徳品第十七の中に「所聞の如く力に随いて演説せん」ということばがあります。お釈迦様から承った法華経の説法を聞いたところの如く、これを伝えよ、というわけです。日蓮大聖人はこれを、「力あらば一文一句なりとも語らせたもうべし」とおっしやった。これを「随力演説」といいます。その人、その人の力に随って法を説けということですが、これはしっかり勉強した人は沢山説けて、あまり勉強しなかった人はちよっとしか説けないとかそういう意味ではなくて、お経の解説を見ますと、お釈迦様のことばに余計なものを一切付け加えずに、又、大切なものを一切省かずにそのままに伝えろということなのです。こういたしますと、檀信徒の皆さんはその使命を帯びたお坊さん方から、法華経の教えというものがいかなるものであろうかということを、何としてでも引っ張り出して皆さんの血となり肉となるように学んでいただかなければならない。これがお寺の住職と檀信徒の理想的な関係であって、その点秋田県は大変良好のようにお見うけいたします。しかし、よそに行きますと、お寺の住職が法を伝えようとしない。「何で伝えないんだ」と尋ねると、「檀信徒がそんな事を聞きたがらないからだ」とこういう。檀信徒に「何できかないんだ」と尋ねると、「お上人が一つも教えてくれないんです」とこういう。責任をお互いになすり合う。尋ねないから教えない、教えてくれないから尋ねない。こんなこと百年していてもらちがあきません。どっちが悪い?やはり仏弟子として生まれて来た私たち僧侶が法を伝えるということに目を向けて、目を覚まさねばならないのです。「法を伝えたがらない住職」と、「法を開きたがらないお檀家」これが仲良くやっていってどうなりますか。共存共栄は成り立ちましょう。しかしお釈迦様の魂はどこかへ忘却されてしまいます。では檀家とお寺は何で結ぶかといえば、それはお位牌やお墓でしょうという答が返って来ます。ある東京のお坊さんがそれを称して「人質」とは言わずに「骨質」と言った。先祖のお骨さえ預かればこっちのもんだというわけですね。これは本来の宗教の姿ではない。私たち僧侶が率先して法を伝える。そして皆さんも率先して法を求めるという姿が本来の姿ではないでしょうか。今日、皆さんはこうして熱心に聴いておられますが、そのお顔を拝見しますと、とても有難く思います。私がそれにどこまで答えられるか知らないけれども、今日は法華経が説かれた時代のことをダイジェストとして話したいと思いますが、時間が限られておりますので、概要、骨格になる点を申し述べてみたいと思います。
お釈迦様は、ご承知のように三十才で悟りをお開きになりました。これを成道されたと申します。今、書店に参りまして仏教学関係の本のコーナーヘ行きますと、いろいろな本が出ておりまして、その本によって諸説があります。例えば、二十九才出家三十五才成道と書いてある本もある。この本を読んだ人が日蓮宗のお坊さんの説教中に、十九才出家三十才成道という話を聴く時、疑問に思うことがあるかも知れません。仏教学者の問では、二十九才出家、三十五才成道が定説でありますが、しかし、天台、伝教、日蓮と法華思想史上の系譜の中から見たものや、日蓮大聖人のご妙判の中に表わされる釈尊観というものは、十九才出家、三十才成道とする解釈をしております。私たちは日蓮大聖人のご門下でございますので外がどういう主張をしていましても、大聖人のその解釈を指示されることに問題はございません。
お釈迦様は三十才成道で八十才ご入滅あそばされるまでの五十年間ご説法をなさっていたわけですが、七十二才を迎えられた時、前代未聞の宣言をされる。それは無量義経というお経の中で「四十余年の程は木だ真実を顕わさず。」とおっしやった。お弟子は驚いたことでしょう。これまでの教えがすべて真実ではないとおっしゃったのです。それでそのままお釈迦様がさようなら、と去ってしまったならば、真実を明かさないまま娑婆を立って行ってしまったことになります。けれどもお釈迦様は、ちゃんとその後に法華経をお説きになられました。ですから法華経は、七十二才からご入滅される八十才まで、つまり晩年の八ケ年間に説かれたお経だと言われます。法華経の中に出て来るお釈迦様のご説法の第一声は序品第一にはありません。次の方便品第二に初めて登場します。皆さん方の中には毎日方便品をお読みになられている方もいらっしやることでしようが、その冒頭「爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。」と読み出しますね。皆さん方がそれを読み始めた時にたまたまお孫さんがそれを聴いていたとします。そして、「おばあちゃん、それどういう意味?」ときかれたら、どう答えますか。つい、読むお経も詰まってしまいますね。そこで「今、お経を読んでいるんだから静かにしていなさい。」と孫の口を閉さぐ。お経を読み終わるのを待って、再び孫が「もう聞いていい?どういうことを言ってたの?」ときく。さあ、おばあちゃん困ったね。もし機転の利くおばあちゃんなら、「あんたはまだ小さいからわからんの、大きくなったらわかるよ。」と言うかも知れない。しかし、「うそだろ、おばあちゃんは大きくなりすぎて腰曲がって小さくなってもまだわからないんだろ。」と返されるのが落ちですね。「大きくなったらわかる。」というのは脆弁であり、わかっていたら教えてあげればいいと思います。でも、よく考えますと、わからないなりにも我々は唱え続けているのですね。だから法華経には厚いご縁があるのです。ご縁があっても理解しているとは違う次元です。わかって唱えているのか、わからないで唱えているのか。中国ではこういうことを[論語読みの論語知らず」と言うそうです。先程もあるお上人と一寸雑談しまして、「お経はやはりわかるように訓読の方がよろしいですね。」ということでしたが、本当にそうかも知れません。私がある法事でお経を和文で読んだら、そこに来ていたお檀家の親戚の方が「お経にも意味が有るんですねぇ。と言った。そして「この年になって初めて知りました。」と続けた。「あんた、何だと思っていましたか。」と聞くと、「お経は呪文だと思ってました。だからわしらは初めから解らなくてもいいのだと思ってました。」じゃあ「誰に聞かせていると思っているの」と聞くと、「死んだおじいちゃんが、それを聴いて喜んでくれたらそれでいいと思ってましたわ。」「そうかね、それじゃあんたのおじいちゃん生きていた時は解っていたのかね。」ときくと「多分解らんで死んでます。」「生きている時に解らん人が死んだらわかるのかね。」「さあどうなんでしょう。」このように世間の人がお寺に法事を頼みに来るのはそんな感覚が多いということなんですよ。・・・いやいや、くといようだけど、秋田県の人はそうではないと思います・・・。でも大阪はそうなんてすよ。そんな人たちがいて法事を済ませたと思っているわけです。
さて、この方便品の書き出しを見ますと、(その時にお釈迦様が三昧より安詳として起き上がって、起って舎利弗に告げたまわく。)となっていますが、この「而起。告舎利弗」というところに注意して欲しいのです。これは、お釈迦様の方から弟子である舎利弗に話しかけられたのですが、これは他に例を見ない説法のあり方なのです。通常の説法は、お弟子やご信者がお釈迦様に対して相談され、お釈迦様はその悩みを解決して差し土げる形をとります。あたかも医者が問診をし、診察をして病気の原因をつきとめて、それに応じた薬を与えているのと似ていますね。世間でもこれを「応病与薬」といいます。そういう説法を四十年以上もなさってきたのです。ところがここで、今までは悩み事相談の説法であった、と言った上で、いよいよ私の遺言である本懐を遂げねばならない。というわけで、法華経の説法を始められた。この法華経を説き始めた時の冒頭のことばが(起って舎利弗に告げたまわく。)ですから、ご自分が立ってお弟子に告げたのであり、これは前代未聞なんですね。これを「無問自説」といいます。つまり、誰からの問いかけもなしに、自分から説き始めたということです。この方便品の始めの部分を読み出した時に感動で声が詰まる程になってこそ、法華経を読むことになるんです。すごいな、お釈迦様がご自分から説法を始められたじやないか、ということに気づいてこそ法華経の説法の中身が尋常ではないことの理解へ近づくことになるのです。更にその後の言葉が更に驚くべきことに、「諸佛智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切聲聞。辟支佛。所不能知。」漢文だけ読んだらわからないのですが、和文で読むと、(諸佛の智慧は甚深無量なり。この智慧の門は、難解離入なり。一切聲聞の辟支佛は知ることを能わざるなり。・・・佛様の悟りの智慧というものは、甚だ深く計り知れない程である。この智慧の門はお前たちの智慧で推し量っても入ることは難しい。お前たち聲聞、辟支佛ごとき二乗根性の者がわかるわけがないのだ)と言って開口一番突き放すんです。「智慧第一」と自他共に認めた舎利弗が、お前の智慧でわかるはずがないと。いきなり突き放される姿は、そこに居合わせた大衆にとって晴天の霹靂であったわけです。そして方便品の説法は展開していきます。お前たちに説いてもわからないだろうと思い、説くか説くまいか、しばし問答を続けらわるのですが、お釈迦様は最後にこれを、諸法實相ということばの上に、「一念三千」という大切な法門を説かわるのです。しかし、一念三千の法門は少しの時問て説明てきない程深い意味を持つものですが、要は何をお釈迦様がおっしゃろうとしたかというと、今から説く法華経こそが真実の教えということです。真実の教えということは、もっと解り易く言えば、衆生が仏になることが約束される教えということなのです。仏教の大きな目的は「成仏」ですからそれが実現するかどうか、これが真実か、そうでないかの分かれ目なんですね。
法華経だけが「成仏]を約束される真実の教え、それ以外の諸経は、つまり四十二年間の説法は、念仏あり、禅あり、真言があったんだと、しかしこれは悲しいかな成仏できない教えだとお釈迦様がおっしやる。説いてきたご本人がそうおっしやるのです。ここを皆さんよく押さえておいて下さい。「こんな事を言い出したのは日蓮さんだろう。」と世間の人は言うかも知れないけど、お釈迦様が方便品の中でそれを強調されたのです。「正直捨方便。但説無上道。」(正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く。)、これを大聖人は立正安国論で、「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに實乗の一善に帰せよ。」と真実の教えに戻れとおっしやったのです。このことばは、方便品の焼き映しなのです。決して大聖人の独創、自論ではないわけです。これらのことは平成十一年にも申し上げた記憶がございます。つまり、方便品で何を説いたかと言いますと、法華経だけが成仏が約束されるということなのです。その根拠は、我々が成仏する種が宿っているお経は法華経のみであるということによります。それ以外のお経、念仏、禅、真言はいかに熱心にやっても仏になる種がそもそも宿っていないんだから、成仏は実現しない。無精卵を暖めてもひよこが誕生しないのと同じです。
この仏になる種、「仏種]があるかないかということは、仏教徒にとっては一大事の問題であり、これをお釈迦様は先ず方便品で宣言あそばされて、四十二年間のありとあらゆる説法を皆、法華経に統一したのです。ですから、方便品のテーマはお経の統一なのです。どのお経でもいっしょで、ただ登り方が違うだけで頂上は同じ、という世間のたわごとにまどわされてはいけない。と、お釈迦様はおっしやいます。頂上に到達できるのは法華経だけであり、他経では道に迷ってばかりで頂上まで到達できない。その方便品の教えを説き終えた段階で、その当時の在世の衆生を救うという一つの仕事を成り終えたことになります。
法華経に来れば救われるよ、とお釈迦様と同じ時代の人々に対して説いた。だから衆生は喜んでお釈迦様に御礼を申し上げた。しかしその後、お釈迦様は自分が亡くなった後の衆生に誰が自分の代理としてこれを伝えてくれるかを心配あそばされた。だから法師品から後のお経には仏滅後とか、如来滅後とか、我滅後等のことばが多く現れてきます。そして説法をする相手が舎利弗という二乗の人から薬王菩薩という菩薩にかわってくるのです。これは二乗は自分の成仏のための信心、修行はするけれども、人の苦しみを救うことには何の関心もないからです。平たく言えば真面目で熱心で、修行や勉強はする秀才であるけれども冷たい人だということです。いくら賢くても冷たかったら人の為にならないでしょう。この賢い者が更に悪智慧を研けば「賢こき鬼」が出来上がり、世間の役に立たない。いない方が良い。それでは優しい者はどうか。優しくても愚かであってはいけない。何かお釈迦様の本意であるかを見極める智慧を持ち、そしてそれ以上に優しい。こんな人を菩薩といい、その完成者を仏というのであります。お釈迦様は自分が死んだ後にその代理に法華経を広めてもらう人として、そういう菩薩に志を託したわけです。ところが菩薩も皆わかってはいるのですが、はい、それでは私が引き継ぎます、と言えないえない事情があった。それは、皆さん法要の中で「此経難持。若暫持者。我即歓喜。諸佛亦然。・・・」と唱えるでしょう。あそこに書いてある、「此の経は持ち難し。」のように、お釈迦様は正直におっしやっている。「この法華経を仏滅後に持てば、いじめられて、つらい目に遭わせられるよ。」、と。つらい目に遭うよと言われて、「はい、私がやりましょう。」という人は少ないと思います。「簡単だからやって下さい。」と言えばやるでしょうが、大変だと言われればやる人は少ないでしょう。そういうわけで菩薩たちは、それをやりますとは言えなかったのです。ところがお釈迦様にそこまで言われて、やらないわけにはいかないと名乗り出たのが勧持品に現れる八十万億、那由佗の「迹化の菩薩」たちであったわけです。お釈迦様がその者たちに自分の未来の問題について頼んだ場合に、「わかりました。それではお任せ下さい。「我不愛身命。但惜無上道。」(我身命を愛せず、但無上道を惜む。)私たちはたとえ、いじめられ、殺されることがあってもお釈迦様の遺言を仏滅後の人々に伝えます。」と答えました。そういう弟子に対し、お釈迦様は、「そぅか、やってくれるか。」と言って手を取り合えば、師弟がそこで感涙に咽び、皆手を取り合って「良かったね。」と法華の説法の幕が落ろされそうなところですね。
しかし、こともあろうにお釈迦様はその迹化の菩薩たちに対し「止善男子。」(止みね善男子。)と言うのです。「止めなさい。」とはひどい話ですね。お迦様はご自分からお頼みになったのですよ。「やってくれないか。」と、しかも五回も!五回も頼まれて断わり切れなくて「しからば致しましょう。」と手を挙げた人たちに対して「やめなさい。」と言った。世間だったらもめますよ。後で断るなら初めから頼むな、と。そう思いませんか。例えば「うちの息子の仲人をやって下さい。と五回も日参されて頼まれて、いやいやそういう身分じやないけれど、まあやってあげましようか。」と返事をしたら、「いや、けっこうです。あなたには頼みません。」と言っているようなものです。その理由としてお釈迦様は、末法という時代にこれを取り継ぐのはあなた方のような迹化の菩薩には任が重すぎる、とおっしやった。これは本仏の直弟子である本化地涌の菩薩でなければ、その重責を果たす事ができない。だから敢えて、迹化の菩薩を止めて本化の菩薩を召し出されたのです。
このお釈迦様の本体は五百塵点劫の昔、これを「無始の始め」というのですが、つまり始めの無い始め、そのような気の遠くなるような昔に木仏として実在していた、とこうおっしやるのです。これが法華経本門思想の醍醐味なのですが、永遠の過去から永遠の未来まで、私は衆生救済のために働き続けているんだ、ということを宣言したのが寿量品なのです。寿量品では、ありとあらゆる仏様を「寿量品の本仏」という根本仏において統一しようとした。だから方便品のお経を整理とすると、寿量品は仏様の統一という目的があったのです。逆に言うと、この統一した仏様は寿量品の仏様であって、これをお釈迦様の本体とみるわけです。その本体は三十才成道八十才人滅という人間のお釈迦様ではなく、永遠の過去から永遠の未来に至るまで、皆衆生を救済し続ける存在として実在する久遠の本仏なのです。だから寿量品には、「常住此説法。」(常に此に住して法を説く。)と書かれている。確かにお釈迦様は八十十才の時、クシナガラでご入滅の姿を現わされたけれども、同じく寿量品には「為度衆生故。方便現涅槃。」(衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。)あなた方衆生を導くために、方便として入滅する姿を現わしたにすぎない。そして「而實不滅度。常住此説法。」(しかも實には滅度せず、常に此に住して法を説く。)つまり、お釈迦様の肉体は滅びたけれど、お釈迦様の魂と救済の誓願は滅ばないのだというのです。我々は、仏教といえばお釈迦様一代八十年のことであり、お釈迦様が説かれたことによって始まったと思っいる.しかし寿量品が説かれてからは、お釈迦様以前の仏教の存在とお釈迦様滅後の仏教の存在とその両方が明らかになったわけです。ここにはお釈迦様の救済計画ということを示しましたけれども、衆生を救うには、ご自身がお立てになった計画にのっとってこわを救うのだとおっしゃっている。
「三世益物」・・・皆さんは、このようなことばをなかなか聞く機会がないと思いますが、[三世」というのは過去、現在、未来のこと、[益」とはご利益、「物」とは衆生、つまり我々のことです。これは我々入間を救済し、利益を与えるために立てられた救済計画のことなのです。そうすると、先程の話ではないけれど、現在といえば我々は「今」のことを言いますが、お釈迦様を中心に見る仏教から言えば、現在とは、お釈迦様在世、つまり今から二千五百年前のことを言うんですね。だからお釈迦様がインド、ラジギールの霊鷲山で法華経の説法をされた八ケ年の衆生教化の姿を「現世益物」という。ところが、そのお釈迦様以前にも仏様が存在していたということがお経の中に説かねている。これを過去仏といいますが、これが無始以来五百塵点劫の長い間衆生を救ってきたということを寿量品で宣言さわているのです。「自我得佛来。所経諸却数。無量百千萬。憶載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於佛道。」(我佛を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千萬、億載阿僧祇なり。常に法を説いて無数億の衆生を教化して佛道に人らしむ。・・・私(仏)が悟りを得てから今日まで、経過した期間は、計り知れない程で億阿僧祇という無限の長さである。私(仏)は常は仏の教えを説き、数限りない人々を教化して、仏の道に導いて来た。)これが仏様の「過去益物」なのです。それでは、「未来益物」とは何かというと、これはお釈迦様滅後の時代をさす。その中で代表となる時代が、今日、我々の生きる末法という時代です。
お釈迦様が法華経の中で法師品から後で一番気を配られたのは、この末法という時代に生きる人をいかに救済するかということでした。この図式から見ますと、我々が現在と思っているこの時代はお釈迦様の眼からすれば未来に当たっているんだということ。こわはわかりますね。お釈迦様を中心に物を考えた場合ですから。未来に生きる人を救う、「未来益物」の範中に当たる。末法に生きる人々、こわをいかにして救うかということ、ここにお釈迦様の説かれた法華経の一番大きなテーマを見い出すことができるわけです。だから、この寿量品の話しをする時に先程申し上けましたように在世の衆生は、これは法華経で救う、これはお釈迦様のお仕事。末法の衆生は御題目で救う、これもまたお釈迦様のお役目なんだけれど、その時にお釈迦様は自分は自ら出て行かない、というのです。もう一回お釈迦様のような人が現わて衆生を導くということはしない、というのです。末法は「無仏時代」なんです。日蓮大聖人が観心本尊抄の中で、「仏既に過去にも滅せず未来にも生せず」という一節を書かれている。私は子供の頃、これを聞いておかしなことを言うなあ、と思いましたが、普通我々は過去に生じて、未来に死するという感覚を持っていますね。だれでも過去に誕生日があって、未来に命日がありますが、これが逆転している人があるでしょうか。自分の命日はわかるけど、誕生日は覚えていないという人がいたら恐いてすね。死ぬ日がわかっているのだからね。未来の命日は未定というけれど、皆さん、ご自宅の過去帳を見てくださいね。三十一日までしかないでしょう。必ずどこかに入るから、そこからはみ出ることはないから安心して下さい。それがいつだろうかと今から想像しても仕方がないでしょう。ですから、我々の常識は過去に誕生、未来に入滅なわけです。それでは、観心本尊抄の一節は何でしょうか。つまり世間の人は、お釈迦様が八十才で亡くなったという入滅が事実だと思っているけれども、それを目蓮大聖人は否定なさっているのです。それは、寿量品の中に出て来る「方便現涅槃。」(方便して涅槃を現ず。)という節の表現のし方を変えたものなのですね。お釈迦様のお亡くなりになった姿が方便なんだから、仏は既に過去には滅していない、だから、未来に生まれて来ることもないということなのですね。このことより、日蓮大聖人がお釈迦様の救済計画からすれば、未来益物を担当する責任者であることを自覚されているから、そういう言葉が出て来るのですね。それではお釈迦様は未来益物を誰に担当させたか、これが上行菩薩なのです。「遣使還告(使いを遣わして還って告ぐ。)ということばで寿量品に説かれていますが、その時の約束事を儀式に則ってしたのが神力品であります。その中に別付嘱又は上行付嘱という部分がありますが、「爾時佛告。上行等菩薩大衆。」 (その時に佛、上行等の菩薩大衆に告げたまわく。)という節より始まります。滅後末法の衆生を済うために、この者に嘱累する。と言っている。お釈迦様の救済計画のシナリオが顕されたもの、これが如来神力品であります。日蓮大聖人の宗教において最も大切なことは日蓮大聖人という上行菩薩が、お釈迦様、久遠の本仏から末法のための仕事を任されたのか、任されていないのか、ということです。実は、この仕事を任せたよ、といって宣言されたのが神力品なのです。この神力品があって、初めて従地涌出品で「止みね善男子」つまり、あなた方に任せるつもりはない、といったお釈迦様の本意がはっきりして来るわけです。だから滅後末法に現れた上行日蓮が、法然、親鸞、道元に向って「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」ということを言ったのは、「あなた方はお釈迦様から妙法五字の御題目を広めなさいという仕事を任されていないだろう。」ということからなのです。なぜか、そんな事がわかるか、と。もし、任されていたら、あなた方は私より先に御題目を広めていたはずだと。お釈迦様が滅後末法の衆生を救済するのは御題目でしかできないといって、それを神力品で付嘱する、つまり任せるという儀式があるのだから、もし、法然、親鸞、道元といった人たちが付嘱を受けた人なのだという自覚があったならば、念仏や禅どころではなく、御題目をすでに広めていたはずではないかということによるわけです。この御題目を広めずに、念仏や禅や真言などを広めるということは、従地涌出品の中で、お釈迦様から「止みね善男子」といって止められた類いの人たちに当たるわけです。任にあらざる人がここへ出て来て余計なことをすると、お釈迦様の救済計画が崩壊する。それは仏弟子としてあるまじき事だ、ということで、御題目を広めない僧を批判したのは、お釈迦様の心の現われなんてすね。そういたしますと、私たちが、この法華経を読みます時に、まず大切な教えは、方便品と寿量品、その次は神力品だと。これらは「三品経」として特に重用視されるわけです。
それぞれの関係をもう一度整理してみますと、まず方便品というお経は、仏になる種「仏種」が宿っているという意味で、法華経が唯一絶体のお経であるということをお釈迦様が宣言したものです。それで寿量品というのは、その最後に書かれてありますが、「毎時作是念。以何令衆生。得入無上道。速成就佛身。」(毎に自ら念を作す。何を以てか衆生をし、無上道に入り、速やかに佛身を成就することを得せしめんと。)お釈迦様の救済計画、三世益物を知り、無上道、つまり法華経の世界に入り、あなた方が一刻も早く仏の世界に達することを望み続けているんだよ、とおっしやっています。お釈迦様はそれを実現するために擣篩和合して調合した法華の良薬である御題目でなければ救われない、ということを明らかにし、更にその仕事を担当する責任者を上行菩薩に任命してこの仕事を任せる、付嘱する。だから、滅後末法においては、「教主釈尊より大事なる行者日蓮」ということばがあるように、法華経を説いた教主はお釈迦様、末法においてそれを演じる役者は、行者日蓮なのです。この末法で衆生を救う陣頭指揮に立つのは、二千五百年前のインドのお釈迦様ではない。これはその仕事を全て神力品の会座において任された、その上行菩薩がその仕事に当たるべきだ。だから我々は日蓮大聖人を通してでなければ、久遠の本仏も本門の題目も認識することができなかったのです。日蓮大聖人を通さなくてもお釈迦様に直結できる、という人もいるかも知れないけれども、それはとんでもない解釈であります。寿量品の解釈と神力品の解釈をよくここで噛みしめてみますというと、今なぜ御題目でなければならないのか、今なぜ日蓮大聖人でなければならないのか、これが明らかになるのが、寿量品と神力品の関係なのです。就中、なぜこの末法は日蓮大聖人でなければならないのかということが神力品の付嘱の法門というわけでございます。
与えられました時間が二時三十五分まででありましたので、最後に少し話しを端折りましたが、なぜ私たちが日蓮大聖人を大導師と頼んで御題目の信心に励まねばならないか、ということが、かくして寿量品、神力品の中で明らかにされたということを本日は申し上げまして、三回に渡ったお話しを完結し、私の任務を終えたいと思います。
南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。長時間のご静聴、まことに有難うございました。