私の幸福論 町田 睿 氏 〜講演要旨〜 |
平成23年12月2日 ホテルサンルーラル大潟 |
秋田が誇る日本の銀行家・町田 睿氏より冊子が届きました。昨年12月、大潟村年金受給者協議会の創立20周年記念式典において、講演された「私の幸福論」という演題のもと氏の想いを講演された内容の要旨で、「ご一読頂ければ幸甚です」とご挨拶文がありました。
素晴らしい講演内容にて、早々にテキストにしてみました。 是非皆様もお読み下さい。(掲載に当たって、大潟村年金受給者協議会並びに講演者の町田氏の承諾を得、WEBに編集・公開するものです。2012,3,15,) 小倉 孝昭
平成30年1月30日 午後6時31分 ご逝去の報を拝しました。心よりご冥福をお祈り致します。享年81 (久城寺 住職 小倉 孝昭)
町田 睿(まちだ さとる)氏 プロフィール 昭和13年2月17日生 秋田県秋田市出身 昭和37年 3月 東京大学法学部卒業 平成30年1月30日 死去 享年81 職歴 昭和37年4月 (株)富士銀行入行 昭和58年7月 同行 人事部次長 昭和63年5月 同行 市場開発部長 平成元年 5月 同行 総合企画部長 平成元年 6月 同行 取締役総合企画部長 平成3年 5月 同行 常務取締役 平成7年 6月 (株)荘内銀行 代表取締役頭取 平成20年 6月 同行 取締役兼取締役会議長 平成21年10月 (株)北都銀行 取締役会長(現職) 平成21年10月 フィデアホールディングス(株) 取締役兼取締役会議長(現職) 平成23年6月 (株)荘内銀行 取締役会長(現職) 平成24年4月1日〜東北公益文科大学 学長 |
私の幸福論 =講演要旨= はじめに 只今ご紹介いただきました町田でございます。私は銀行員であります。銀行員は話し下手と相場が決まっておりますのに、話す機会を与えていただき、有り難く思っております。 私は以前から大潟村には深い敬意を抱いておりました。八郎潟を干拓し、開墾し、農地から米を産出されるまでの、長い入植者の皆さんの辛抱強いご努力の他に、新しいことに、万事前向きに取り組まれる大潟村の積極的な姿勢に日頃から敬服しておりました。 さて、私の同世代の銀行員仲間の年金受給者は、大半が仕事がないので、「毎日が日曜日」です。最初のうちは、海外旅行だの、趣味の世界だのと張り切っていましたが、そのうち飽きがきて、只ぶらぶらしているのが多くなっています。 私は、農業という職業は素晴らしい職業だと思います。子育てと同様、植物を植え育てる喜びは、人間の幸せの原点だと思います。しかも、農家の方は死ぬまで、何らかの農作業に従事出来るわけで、育てる喜びを死ぬまで実感できる理想的な職業だと思います。 この度は「耕心会」が二十周年を迎えられたとのことで、同世代の皆さんに、私なりの「幸福論」を述べさせていただきたいと思います。 一、ブータン国王来日 (1)GDP対GNH この間、ブータンから三十一才の若い国王と、さらに十才若いお后が来日し、話題となりました。 ブータンは人口七十万人位しかいない小国ですが、国王は国民総幸福(GNH)、つまり国民全員を幸せにするということが国家目標だとしているのです。 国民の幸福という観点からいえば、日本は戦後の廃墟の中から、現在の経済大国といわれる豊かな社会を築き上げてきたのですが、確かに物質的には豊かになりましたが、国民の概ねが幸せかと問われると、そうだとはいえないのではないでしょうか。 最近ハーバード大学の学長を二十年も長く勤めた学者が、「幸福の研究」という本を出版しています。その本の中で、自国アメリカを厳しく批判しています。「アメリカには国民皆保険がない。先進国でありながら、国民皆保険を達成できていない唯一の先進国だ」とし、さらに「離婚率が全ての先進国のなかで最も高い。こんな国が本当に幸せだろうか」と指弾しています。 物質的豊かさだけでは幸福は考えられないということについては同意できると思います。 (2)日本のGNH(都道府県別幸福度) お手元にお配りしている資料(1)をご覧下さい。これは政府の幸福研究会が都道府県別に幸福度を測った調査結果です。平均寿命とか、合計特殊出生率など四十項目を集計したものです。秋田は三十七番目で、そのすぐ下に東京があります。日本海側のうち北陸や山陰はベストテン入りしている県が多いのに、秋田が低いのは、自殺率や、がん死亡率が高いなどが、影響しているからでしょう。 しかし幸福は、一人ひとりの考え方や感じ方で異なります。統計数字で把握できない、一人ひとりの生き甲斐や充実感が反映されなければ、正確な比較はできないといえます。大潟村には、皆が力を併せ開拓を成功させてきた達成感や充足感がありますから、県内二十五市町村のうちでは断然第一位でしょう。 二、幸福の心理的側面 地域社会の幸せを考える際には、家族のあり方が問われると思います。私は大家族主義礼賛者で、三世代同居が理想的だと思っています。 しかし現実には日本は急速に核家族化が進んでおり、結婚すると親元を離れ、しかも子供も一人か二人止まりです。少人数家族は意見や立場の調整が難しく極端に走りがちですし、多様な判断や生き方を身につける機会が乏しくなります。地域との付き合いの乏しい大都市で悲劇的な事件が生じる背景となっているように思われてなりません。 親と子の幸福についての考え方の差は、子供の就職先選びに強く顕れるように思います。親は安定した先、例えば公務員や銀行、大企業などをすすめがちですが、最近の若者は、安定した職場よりも、やり甲斐のある職場、自分の能力や適性を活かせる仕事を希望するようです。私も「自己実現」を重視して職業を選び、世間体を気にしない生き方を大切にして欲しい、その方が結果的に幸せな職業人生を全うできると思っております。 三、幸福論と日本人 (1)欧米の幸福論 幸福論は欧米人に多いのですが、物質的に豊かになった近世以降に盛んになったようです。フランスではアランの、イギリスではラッセルの「幸福論」がもてはやされました。私達日本人には、スイス生れのヒルティの幸福論に共鳴する人が多いと思います。ヒルティの著作に「眠られぬ夜のために」があります。欧米人は、労働は辛いもの、できればやらずにすませたいものという意識が強い。ヒルティは、そうした享楽的な生活を排し摂生的生活を勧めています。キリスト教信仰に基づいた勤勉な人生を理想としています。 それでは日本の幸福論はどうなっているかですが、日本人は幸福かどうかというよりも、どういう生き方をするか、人生の目的は何か、何のために生きているのかという哲学的な問題を設定するのを好む傾向にあるようです。 (2)倫理学としての「武士道」 明治維新から日本は近代の時代に入ったわけですが、明治政府は欧米列強帝国主義の仲間入りを急いで、欧米人との交流を深めたのですが、その過程で日本人の道徳観の背後にある精神文化を明らかにする必要を痛感したようです。内村鑑三の「代表的日本人」と新渡戸稲造の「武士道」がその成果です。両著共原文は英語で書かれているのが、その証拠です。特に「武士道」は格調高い名文とされています。 日本人の精神文化は、アニミズム(自然崇拝)が古来から存在し、それが神道に発展し、外からは聖徳太子で有名な仏教が伝来し、鎌倉時代や戦国時代の混乱期に庶民の間にひろめられました。江戸時代には治世のための儒教が武士階級から庶民にまで浸透し、明治に入ってからの日本人の精神文化は、神道・仏教・儒教が混りあい、日本独特の倫理思想が形成されたといえます。 日本の精神文化には幸福論はありません。そのかわり、「志」だとか「道」が犬事にされています。茶道や華道など趣味の世界だけでなく、剣道や柔道などスポーツの世界まで道を究める精神が求められています。 ですから、日本人は仕事がつらいから、早く引退したいという発想は、そもそもないといえます。苦難の中に道が展け、結果として幸福を実感するというのが、日本人の幸福論ではないでしょうか。 四、私の幸福論 (1)「坂の上の雲」と下り坂の人生論 最近NHKが三年がかりで「坂の上の雲」をドラマ化しました。司馬遼太郎の大作ですが、舞台は明治維新以降の日本の興隆期で、欧米帝国列強の仲間入りを果たそうと「坂の上の雲」(欧米先進文明)を目指して、遮二無二に頂上を目指した時代の若者群像です。 日露戦争の勝利以降、日本は民主政治が育たず軍部独裁に陥入り太平洋戦争の敗戦に至るのですが、日本は廃墟の中から再スタートを切り、今度は経済的に先進国に「追いつき追い越せ」をスローガンに、世界が驚く高い経済成長を遂げ、世界第二位の経済大国に登りつめました。しかし直近二十年、失われた二十年と言われ、ゼロ成長に陥入り、その間新興国就中、中国に2010年GDPで世界第二位の地位を奪われわれてからは、日本は内向志向で日本の未来に展望を持てない状態に陥入りました。それに追い討ちをかけだのが、今回の東日本大震災です。 中国は日本の二十五倍の広さの土地に、日本の人口の十倍の民が存在する人口大国ですから、GDPで追い抜かれても不思議はありません。一人当りのGDPは未だ日本の十分の一に過ぎないのです。 これからの日本は、自らの文化や精神に自信を持ち、人口爆発を起し地球環境の急速な悪化が懸念される中で、指導的役割を担い、世界平和に貢献する国であってほしいと思いますし、日本の精神文化は、キリスト教やイスラムの一神教文化と異なり、和を大切にする包容力のある文化です。再び自信を取り戻し日本が世界をリードする役割を負える国に再生してほしいものです。 もっとも、日本は経済的には成熟期に入り、高度成長を期待するわけにはまいりません。その意味でなら峠を越えた下り坂の道を歩むこととなります。たまたま私白身が、人生の「坂の上の雲」を追い求めるステージから、老後という「下り坂」の人生に入っているわけで、実感として「下り坂」も悪くないと感じております。下り坂からは下界が良く見えるのです。世の中の動きも、家族や夫婦のことも自分の回りに生起する諸々の事象を余裕をもって眺められます。 私は毎晩NHKラジオ深夜便を聴いています。アナウンサーを卒業したアンカーマンが夜の十一時のニュースの後から朝の五時まで夜通し番組の進行を担当してくれています。二時から四時までは解説付きで、なつかしい音楽を流してくれます。前後の時間は、人生論や体験談、時に名作の朗読など、居眠りするのが勿体ない、「人生って悪くないなあ」とつくづく思います。 (2)父の最晩年 実は、私の人生論は父の影響を強く受けています。高校の教師を長く勤めていましたから、卒業生が訪ねてきてくれ酒盛談義の中で傍で聴いていて参考になりました。「失恋こそ最高の恋愛」だとか、「人生で一番貴いものは他者のために自己を犠牲にすることだ」などで、今でもそう信じています。 最晩年になって、父が「愛するということ」というエーリツヒ・フロムの著書を取り出してきて、「愛は能力である」とするフロムの愛の定義について語り出しだのには驚きました。一日一回の散歩と朝晩二回のピアノ弾き以外に日課とてない単調な老後の生活の中で、何を今更愛が問題になるのか不思議でした。まるで教壇で生徒達を教え諭すような父の話し振りを聴いていて、私は父が加齢と共に衰える肉体と精神の萎を自覚しながら、いよいよ肉親の愛にすがっていく自分の心の弱りを叱咤しているのではないか。「愛は能力である」と自らに云い聴かせ、「与えられる愛ではなく、与えるところの愛を」と念じつつ毎日を送っているのではないか、そんな年老いた父の必死の想いをみたような気がしました。 (3)私を支えている二つの詩 今日は、二つの詩を携えて参りました。 一つは、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩であります。ウルマンはアメリカでは全く無名な人でありましたが、この一篇の詩で特に日本で有名になりました。八十才のときに発表され、八十四才で逝った一介の市井人であります。加齢との闘いで、自らを励ます念仏のようなものだったのではないでしょうか。 二つ目の詩は吉野弘の「祝婚歌」です。自分の姪の結婚式に出席できず、この詩を送り届けたときの作品で、詩集「風が吹くと」に収められています。 実は私も結婚式のお祝いのスピーチに使わせてもらって気がついたのですが、この詩は初めて結婚する二人にとっては、意味がわからないのではないかということです。 しかし、参会者からは大変な反応がありまして、出典を教えてくれとか、上々の評判でした。これは祝婚歌ではなくて、銀婚歌だという人もおりまして、そういえば結婚二十五年も経つと夫婦の絆にも綻びも生じ易くなります。離婚調停を務めるある女性弁護士は、必ず最初にこの詩を読ませることにしていると聞きました。効果の程はわかりません。 私共夫婦はそろそろ金婚式が迫っています。この位の年数が経ちますと、女房に威張っている仲間は一人もおりません。全員白旗を掲げ終わっています。ところが、この間、仲間内で降伏宣言したのに「家内が僕をいじめるんだよ」と泣きが入り、これには一同大いに同情いたしました。今日は女性も多くおられるようですから、ぜひひとつ、連れ合いには優しくしてやって下さい。 (了) |
資料(2)
『青 春』 原作 サミュエル・ウルマン 岡田義夫 訳の一部 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 |
『祝婚歌』 吉野 弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず ゆったりゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい |
第29回 創画展 2002 「風渡る時」 創画会会員 信太 金昌画伯 |