【追記】 
 

視点 「儀礼を折り目正しく営むことによって蘇るもの」

 正確な年数は分からないが、我が国にコンビニエンスストアという形態のお店が誕生してから、もう三十年余りになるようである。しかも、当初は「午前七時から午後十一時まで」といった営業時間の制約があったものが、今では二十四時間営業、年中無休という時代になってしまった。こうした時流の中で、平成十六年のお正月からは、とうとう日本中に名の通っているようなデパート各社までが二日からその営業をはじめた。
 またもう一つの社会現象として既に定着した観のあるのが、一家中で温泉地に行ったり、海外の観光地で遊んだりして正月を過ごすという、一九六○年代のいわゆる高度成長期の頃から始まった正月風景である。
 そして、「このような世の中のあり様はおかしい・・・」と発言すれば、当然の如く「お客様の要望があるからお店を開けるのだ」また「自分の時間をどこでどう過ごそうと勝手ではないか・・・」という反論があることだと思う。残念ながら、こうした反論を説破する力は持ち合わせないが、しかし、その後の世相の推移をみれば、次第に社会の基盤がゆるみ、自己中心でモノカネ優先の生き方をしている人たちが巾をきかせて、自己抑制、慎み、恩義、感謝、尊敬などの曽て美徳とされてきた価値観を軽んじるような風潮が、世代を越えて広まってしまった結果が、日々私たちの目の前に起こっている痛ましく悲しく恐ろしい数々の事件や出来事なのではあるまいか。
 無論、世の中の人全てがこうした風潮にただ流されてばかりいる訳ではなくて、より清冽な生き方や高潔な精神性を求めて、そうした傾向の出版物や映画が高い評価を受けたりもするのだと思う。しかし、本を読み、或いは映画を観て感動しても、極論すれば疑似体験以上のものではない。疑似体験でもしないよりは良いかも知れないが、その人の心身の格を形成するところまでの働きはしないのではないだろうか。やはり、肝腎なのは、体験を積み重ねる日々の生活だと思う。

 「正月」とは、古来、「年神を祭り、祖霊をまつる行事であった。」と本誌『儀礼文化』第三十四号に「儀礼文化としての帰省」と題する文中に、岩井宏實氏がお書きになっておられる通り、曽ては、日本中どこででも、規模の大小や風習の差異はあっても、歳末になると家長が中心となって、年神様と祖霊をお迎えする仕度を調え、年が明けたら決まり事の日時や作法を守って年神様とご先祖様をお迎えして家族中揃ってお正月を祝う。」という行事だった訳であるが、終戦後の家父長制の廃絶をはじめ家族形態の変化や、それに伴う生活スタイルの変化などによって、神をまつり、祖霊をまつるという宗教行事(広い意味での)の意味合いが正しく伝わらなくなってしまった為に、本来は伝承されるべき、「鏡餅」や「門松」の飾り方などをはじめとする「しきたり」までが途絶えてしまったところも少なくない。
 これは、単に習俗としての伝承が途絶えるということのみならず、私たちが生きている社会の大切な核である「家族」が壊れることでもあり、人と人との心のつながりが希薄になってゆくことにも深い関わりがあるように思われる。現今の世相を伝える新聞等の情報によれば、東京では(或いは東京だけに限らないかも知れないが・・・)鏡餅、門松、輪飾りなどの正月飾りをしない人たちが増えてきているという。家族揃って自宅で過ごすことが出来なければ、これもまた、当然のこととも言えよう。

 しかし、この現状をただ「黙認」したり「肯定」したりするのではなく、国も地方自治体も企業も、そして個々人も知恵を出し合って、せめて年始の三ヶ日はだけは家族揃って正月の祭りが出来るような仕組みと社会の枠組みをもう一度取り戻す努力をしなければならないと思うのである。こうした取り組みについては、夏のお盆行事も同様のことが望まれる。それは、盆提灯や盆灯篭を用意すること、迎え火・送り火を焚くこと、お墓掃除をすること、精霊棚をしつらえること等々を子供達と一緒にすることで、その親の姿を見て育つ子供達にとっては、優しいこころを養う大きな糧になるのは疑う余地もないことである。

しかしながら、親と子が素直に触れ合える時期はそんなに長くなくて、せいぜい小学校六年までの間の数年間かも知れない。だからこそ、この貴重な時を精一杯工夫して、天の恵み、地の恵み、人の温かさや厳しい優しさを感じ取れる豊かな感性を持つ子供達を育てよう。そうすれば必ずや、殺し合う争いの愚かさに気づき、互いに活かし合って生きることの出来る人達に未来を受け渡してゆくことが出来るだろう。

 前記のように「お正月」と「お盆」という一年を分かつ年中行事だけ見ても記念日の持っている意味と役割は、とても深いものがある。
 私は現在、日蓮宗大本山・池上本門寺執事長として「新年祝祷会」(元日〜三日)「長栄天大祭(正月・五月・九月の二十二日)「節分追儺式」(二月三日)「釈尊涅槃会」(二月十五日)「宗祖降誕会」(二月十六日)「春季彼岸会」(三月十七日〜二十三日)「釈尊降誕会」(花まつり四月第一土曜日)「五重塔まつり」(四月第一日曜日)「立教開宗慶讃・法華経千部読誦会」(四月二十七日〜二十九日)「伊豆法難会」(五月十二日)「盂蘭盆大施餓鬼会」(七月七日)「御霊宝お風入れ式」(七月二十五日)「日朝聖人大祭」(七月二十五日)「みたま祭り・盆踊り」(八月四日〜五日)「松葉谷法難会」(八月二十七日)「龍口法難会」(九月十二日)「秋季彼岸会」(九月二十日〜二十六日)「御会式」(十月十一日〜十三日)「小松原法難会」(十一月十一日)「仁王尊御身拭い式」(冬至の日)等の年中行事大法要の指揮を執り、また、檀信徒の葬儀や追善法要の導師を勤め、またイキイキ推進運動の委員長として、野外コンサートやフォーラムなどの様々な催しで挨拶をするなどの役割をつとめているが、そんな中で、自らにも課し、役僧諸師にも要請して心掛けているのは、

(一)ひとつひとつの行事や催しの意義を出来る限り参会者に分かりやすく伝える工夫を怠らないこと。
(二)儀式の伝承を重んじ、努めて省略せずに執行すること。
(三)法要に於ける諸役に精通するよう、常日頃から稽古を重ねておくこと。

 等々である。

 この稿のはじめにも記したように、今は年中行事のことから佛事弔祭の心得に至るまで、代々言い伝えたり、受け継いだりしてきたことが、途切れている時代なので、儀式を執行する側にいる私たちが、施主及び参列者に儀式を営む意味を説明し、合掌礼拝の仕方や焼香の作法あるいは、読経の心得などを折ある毎に伝えて興味を持っていただき、やがては、他の人達に伝えることが出来る域にまでなって欲しいという望みを持っている。「伝承」の新しい意味での復活とも言うべきものである。そこまで檀信徒の意識を高めてゆくためには、私たち僧侶が、より真剣に儀式を執行しなければならないし、音声、威儀、見識など全般に亘って修練を積まなければならない。

 このような心掛けで、あらゆる儀式を営むならば、参列する人達にとって、儀式の果たす働きはとても大きなものとなるであろう。昭和二十年の終戦によって失った伝承と、戦後経済の高度成長期に捨ててしまった美徳を、年中行事儀礼と佛事儀礼を折り目正しく営むことによって「蘇えらせ」、次代に受け渡して行きたいと切に願っている者の一人である。

                                     早水 日秀 【儀礼文化 第三十六号より】


 この原稿は平成17年5月7日 早水日秀師より、私宛にいただいたお手紙に同封されていた「儀礼文化」よりの抜刷稿です。
早水上人の熱き思いをこの講話の頁に更に併せ掲載させていただきます。是非ご一読を!

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