御遺文

〔鎌倉辻説法〕

四条金吾女房御書 484 闇なれども、灯入りぬれば明かなり。濁水にも、月入りぬればすめり。明かなる事、日月にすぎんや。浄き事、蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。日蓮また日月と蓮華との如くなり。
寂日房御書 1669 一切の物にわたりて、名の大切なるなり。さてこそ、天台大師は五重玄義のはじめに、名玄義と釈し給えり。日蓮となのること、自解仏乗とも云っつべし。かように申せば、利口げに聞こえたれども、道理のさすところ、さもやあらん。経に云く。「如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇」と、この文の心よくよく案じさせ給え。「斯人行世間」の五の文字は、上行菩薩、末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり。日蓮等は、この上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に、法華経をうけ、たもてと勧めしはこれなり。
如説修行鈔 733 かゝる時刻に、日蓮、仏勅を蒙むりて、此土に生れけるこそ、時の不祥なれ。法王の宣旨、背きがたければ、経文に任せて権実二教のいくさを起こし、忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ、一部八巻の肝心、妙法五字の旗をさし上げて「未顕真実」の弓をはり「正直捨権」の箭をはげて、「大白牛車」にうち乗りて、権門をかっぱと破り、かしこへおしかけ、こゝへおしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗十宗の敵人をせむるに、あるいは逃げ、あるいは引き退き、あるいは生け取られし者は、我弟子となる。



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