御遺文

〔佐渡赦免状到着〕

真言諸宗違目 638 早々に御免を蒙らざることは、これを歎くべからず。定んで天これを抑うるか。藤河入道を以ってこれを知る。去年流罪有らば今年横死に値うべからざるか。彼を以て之を推するに、愚者は用いざることなり。日蓮の御免を蒙らんと欲するのことを色に出だす弟子は不孝の者なり。あえて後生を扶くべからず。各々この旨を知れ。
光日房御書 1153 大海のそこのちびきの石はうかぶとも、天よりふる雨は地に落ちずとも、日蓮は鎌倉へは還るべからず。ただし法華経のまことにおわしまし、日月我をすて給わずば、かえり入りてまた父母のはかをもみるへんもありなんと、心づよくおもいて梵天・帝釈・日月・四天はいかになり給いぬるやらん。(中略)もしこのこと叶わずば日蓮が身のなにともならん事はおしからず。各々現に教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給いしが、今日蓮を守護せずして、捨て給うならば、「正直捨方便」の法華経に大妄語を加え給えるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は提婆達多が大妄語にもこへ、瞿伽利尊者が虚誑罪にもまされたり。たとえ大梵天として色界の頂きに居し、千眼天といわれて須弥の頂きにおわすとも、日蓮をすて給うならば、阿鼻の炎にはたきぎとなり、無間大城にはいづる期おわせじ。この罪おそろしとおぼせば、いそぎいそぎ国にしるしをいだし給え。本国へかえし給えと、高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば、九月の十二日に御勘気、十一月に謀反のものいできたり、かえる年の二月十一日に日本国のかためたるべき大将どもよしなく打ちころされぬ。天のせめという事あらわなり。これにやおどろかれけん、弟子どもゆるされぬ。しかれどもいまだゆりざりしかば、いよいよ強盛に天に申せしかば、頭の白き烏飛び来りぬ。(中略)文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡の国につきぬ。



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