御遺文

〔龍口法難〕

妙法比丘尼御返事 1562 外には遠流と聞えしかども内には頸を切べしとて、鎌倉龍の口と申す処に九月十二日の丑の時に頸の座に引きすえられて候き。いかがして候けん、月の如くにおわせし物、江の島より飛び出でて使の頭へかかり候しかば、使恐れてきらず。とこうせし程に、子細どもあまたありて、其夜の頸は逃れぬ。
種種御振舞御書 966 今夜頸切られへまかるなり。この数年が間願いつる事これなり。この娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、鼠となりし時は猫にくらわれき。あるいは妻に子に敵に身を失いしこと、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度も失うことなし、されば日蓮、貧道の身と生まれて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度、頸を法華経に奉りてその功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶくべし、と申せし事これなり、と申せしかば、左衛門尉兄弟四人、馬の口にとりつきて腰越、龍の口にゆきぬ。此にてぞ有らんずらんと思うところに、案たがわず、兵士どもうちまわり、騒ぎしかば、左衛門尉申すよう、只今なりと泣く。日蓮申すよう、不かくの殿原かな。これほどの悦びをば笑えかし。いかに約束をば違えらるるぞ、と申せし時、江の島のかたより月のごとく光たる物まりの様にて、辰巳の方より戌亥の方へ光渡る。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみえざりしが、物のひかり月夜のようにて、人々の面もみな見ゆ。太刀取、目くらみたおれ臥し、兵共おぢ怖れ、きょうさめ(興醒)て、一町ばかりはせのき、あるいは馬よりおりてかしこまり、あるいは馬の上にてうずくまれるもあり、日蓮申すよう。いかにとのばら、かゝる大に禍なる召人には遠のくぞ。近く打ちよれや打ちよれや、とたかだかとよばわれども、いそぎよる人もなし。



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